清春 (きよはる、本名:森 清治 (もり きよはる)、1968年10月30日 - ) は、日本のミュージシャン。血液型A型。身長171cm。1968年、3人兄弟の長男として、岐阜県多治見市で生まれた。幼少の頃は父親に対する恐怖心があり、何らかのことを相談する際は、母親ばかりがその相手であったという。岐阜県立多治見工業高等学校に入学 (入学の理由が長髪が認められていたため)、在学中にTHE WILLARDのコピーバンドに加入。高校2年の時に初めてステージに立つ。同校のデザイン科を卒業し、父親が経営する建築板金工場 (森建築板金) を継ぐ為の修行として、父親の知り合いの階段の手すりを作る工場へ就職する。下宿からその工場へ通い、8時から18時まで、残業あり週休1日の仕事を続けながら活動をしていた。その仕事は2年間続けた後退職し、森建築板金へと戻るがバンド活動に専念する為に1年程で退職。黒夢以前に在籍したバンドはダブルベッド→SUS4→GARNET。1991年に岐阜県を拠点として、ex.GARNETの清春とex.GERACEEの臣を中心にGARNETで一緒に活動していた人時、鋭葵と共に「黒夢」を結成する。バンド名は「眠っていて視界が真っ暗になる状態」「夢を見ていないから真っ黒な夢」つまり「夢がない」「夢は叶わない」という意味である。黒夢結成当時周りのヴィジュアル系バンド (当時は「化粧系」と言われていた) のバンドの殆どが「幻想」「幻覚」「刹那」といったものをテーマとして取り上げていた事に対して「そういう事は全て御伽話なんだよ」「夢ばかり見てないで現実を見なよ」というアンチテーゼであった。しかしこれは後付けであり、当時バンド名に主に英語やフランス語等を使用した清春曰く「ラ行が多い」物であった事から、清春自身が戦略の為「絶対に漢字がいい」と、前身バンドGARNETの楽曲であった「黒夢」をバンド名にする事を決めた。愛知県名古屋市のライブハウス「MUSIC FARM」を活動拠点としてインディーズでの活動を続け、地元のラブホテル(アマルハウト)やレンタルビデオ店、ビデオカメラの部品工場でアルバイトをしながらミュージシャンを目指していた。ミュージシャンになれなかったら建築板金の実家を継ぐ予定であったが、25歳のときに黒夢のヴォーカルとしてメジャー・デビューを飾った。インディーズの時代から続いて1990年代の序盤までは今に言うヴィジュアル系と見做される外貌を保持していたが、この年代も中盤に近づく頃からしだいに化粧を薄めると同時にカジュアルな服飾を志向し始め、黒夢のヴォーカルとしての活動の傍ら、一種のファッション・リーダーとしての人気を一身に集めてゆく。1990年代後半ころにはクロムハーツのアクセサリーとラバーソールがトレードマークで、その人気の火付け役となった。特に当時はクロムハーツとの親和性が高く、清春のある種のトレードマークとも謳われるほどであった。数多のファッション雑誌にも頻繁に登場し、特に青少年の年頃の男子達からのカリスマ的な支持を受けつつ活動を続けた。1999年に至って突如「無期限の活動停止」を発表し、事実上の解散状態となった。その後、黒夢のサポートミュージシャンであった坂下たけともらと共にSADSを結成する。無期限の活動停止から丸10年、2009年1月29日の日本武道館にて黒夢一夜限りの復活、解散ライブが敢行された。2011年2月26日「FUCK THE FAKE STAR」と題したライブが代々木第一体育館で行われた。新しい「黒夢」の復活である。2009年に行われた復活ライブとは、大きく趣旨が異なる。2003年にSADSの活動を一旦停止 (後に自然消滅) し、同年夏からメジャーデビュー10周年の一環としてソロ・プロジェクトが始動する。同年10月30日にショートフィルムという形で「オーロラ」のPVを収録したDVDを発売する。「清春」名義としては実質初のリリースである。また12月にはソロデビューとなる公演「第三の扉」 (東京・大阪の二公演) が敢行される。ソロ活動開始直後であり、新譜の発売などもなかったため曲目は大半が未発表曲 (後に『poetry』に収録) で占められた。また、「優しい悲劇」や「百合の花束」をはじめとした黒夢時代の楽曲が披露された。2004年に入り、デビュー10周年の日となる2月9日にファーストシングル「EMILY」を発売し、4月9日にファーストアルバム『poetry』が発売される。同アルバムは「10周年のご褒美」 (清春談) ということで、L'Arc〜en〜Cielのギタリストkenや、MORRIEといった錚々たる人物がレコーディングに参加している。『poetry』は、これまでの激しい曲調とは一転してダークでゆったりとしたテンポの楽曲で構成されている。これは、今までのバンドサウンドに対する「落差・対比」を意識的に表現したと清春が語っている。ツアー「ROOM OF MELANCHORY」を行った後、同年後半は東京でのマンスリーライブを中心に活動を行う。当初の予定ではツアーが終了した後に『poetry』に収録された「飛行船」をシングルでリリースする予定であったが、所属先のユニバーサルミュージックの上層部が難色を示し、実現しなかった (後に「飛行船」は「輪廻」のカップリングとして再録された)。トーキョーリップス (後にバウンシーレコードに改名) に移籍した2005年は「LAST SONG-最後の詞-」を皮切りにアルバム2枚、シングル5枚をリリースする多忙の一年となる。黒夢時代からサビのメロディーを暖めていた「LAST SONG-最後の詞-」を収録し、またソロデビュー当初から「二枚目のアルバムが照準」として出来上がった2ndアルバム『MELLOW』は、『poetry』とは一転し、明と暗、光と影を表現する様々な楽曲が盛り込まれ、曲調も緩急がより鮮明になった作品となった。『MELLOW』発売を受けて敢行されたツアーは、『天使の詩』と名づけられ、黒夢の代表曲である「Like @ Angel」が披露される。同ツアーでは過去のバンド (黒夢・SADS) の曲がアレンジされて演奏されている。尚、この後からアンコールでSADSの「SANDY」や「HAPPY」がセットリストに組み込まれるのが定番となっている。現在、未発表曲である「海岸線」はこの頃から披露されており、現在では歌詞や演奏が時間が経つにつれて少しずつ変容している。2005年後半は4thシングル「Layra」、DVDアルバム『MELLOW』、5thシングル「bask in art」をリリースし、更に12月には3rdアルバム『官能ブギー』をリリースをする。これまで一年に一枚のアルバムリリースを行ってきた清春にとって、同年に二枚もアルバムを制作するのは過去にないペースであった。『官能ブギー』は "2006年型グラム・ロック" と銘打たれ、ギラギラした、艶やかなナンバーの多いコンセプチュアルな作品である。同アルバムについて清春は『MELLOW』のような自身の王道的なメロディーで構成されるアルバムと比較し「変化球的なアルバム」と表現している。尚、アルバムのジャケット写真は清春が虎に跨る姿であるが、これはグラム・ロックの代表的バンドであるT・レックスのアルバム『グレイト・ヒッツ』のそれを模倣したもので、同バンドのフロントマンであるマーク・ボランへのオマージュの意味が込められている。2006年2月からの「TOUR 天使の詩 '06『官能ブギー』」終えた清春は、4枚目のアルバムへと向けレコーディング活動に入る。この期間中、雑誌等によって報じられる清春の動静は音楽活動の引退を匂わすものが多かった。アルバム『VINNYBEACH 〜架空の海岸〜』に「bye bye」「この孤独な景色を与えたまえ」「君の事が」といった曲が収録され、インタビューでも「終わり」を予感される発言をしていた。ちなみに、「VINNYBEACH」という単語は本人がずっと温めていたものである。「TOUR 天使の詩 '06『架空の海岸』」では、清春のライブとしては珍しく本編中の曲順がツアー全体を通じて大きく変更されることがなかった。ツアー終盤では黒夢の「NITE&DAY」が演奏された。追加公演を含めて12月30日までが架空の海岸ツアーとなった。2007年の前半は東京と大阪で毎月公演を行うマンスリーライブが行われる。公演では後の11月に発売となる『FOREVER LOVE』に収録される曲の大半が披露された。今作品は、「輪廻」をはじめ、楽曲の歌詞の中に家族に対する愛情や運命といった情感が至る所に込められており、清春個人のプライベートな想いが強く込められたものである。ツアー「天使の詩 '07-08 FOREVER LOVE」は年を跨いで行われた。2008年はメジャーデビュー15周年を迎える節目の年となった。そのため、15周年を祝う様々な企画が行われた。当初は2007年度と同様にマンスリーライブを行い、アコースティックアルバムを発売する予定であったが「歌を歌うという原点に立つ」という清春の姿勢により、これまでのバンド形態での演奏やアコースティックライブとも異なる、新しいスタイルで公演を行うことになる。「Monthly act - rhythmless & perspective live (当初のbase of melancholyから改称)」と名づけられて行われライブでは、ドラムとベースが取り除かれ、代わりにヴァイオリン、チェロ、マニピュレーターや同期を取り入れ、背景に映像を流してライブが行われた (公演の形態は映像を外したり、楽器を入れ替えたりと毎月ごとに変化が加えられていった)。これまでのバンド形態での演奏のようにノリや熱気で場をやりこめる雰囲気とは一線を画し、必然的に歌が際立つ構成となる。そのため、これまで以上に歌うことへの集中力が払われ、清春本人も「(曲数は少ないが) いつもより疲れる」と語った程である。マンスリー公演の傍ら、5月にはデビュー15周年記念シングル第一弾「五月雨」を4種同時リリースし、9月には新曲とセルフカヴァーを加えたアルバム『light〜saw the light & shade〜』『shade〜saw the light & shade〜』が同時発売された。曲数自体はミニアルバムに近いが一曲あたりの収録分数が総じて7分前後あるため、収録時間数の関係で一枚あたり7曲となっている。2008年10月29日にはデビュー15周年記念シングル第二弾にして30代ラストシングルとなる「loved」を発売。翌日の10月30日、渋谷C.C.Lemonホールで行われた「40th birthday live」で突如、 一夜限りの黒夢復活、そして解散LIVEを行う事を発表する。その解散公演として2009年1月29日に「清春 15th Anniversary Presents KUROYUME "the end" CORKSCREW A GO GO! FINAL」が日本武道館で行われることとなった。黒夢解散の理由として、ソロ活動の中で黒夢の活動期間と並ぶ5年間を経過したことで黒夢の存在がようやく自身の中で軽くなり、その存在に決着をつけることでソロでの6年目という未知数に向かうためであると清春は述べている。尚、この件は2007年頃から黒夢のメンバーであった人時から持ち掛けられたもので、当初は気が進まなかったが「一度限り」という条件で清春が承諾したとされる。2009年、黒夢解散前日の1月28日には黒夢のセルフカヴァーアルバム『MEDLEY』が発売された。この時にエイベックスに移籍した。2月に行われたFC LIVEのタイトルは、去年までの「REPLAY」からKUROYUME "the end" と対となる "endless" と名付けられた。2010年1月にリリースされるシングル「LAW'S」がCAPCOMのバイオハザード ダークサイド・クロニクルズのCMソングに使用されることが決定した。バイオハザードのCMはこれまでアーティストとの曲のタイアップはなく、これが初めてになる。2010年1月29日に清春の公式ブログで、黒夢とSADSの活動を再開することが発表された。また、両バンドの公式ホームページがそれぞれ新たにオープンされ、両バンドと清春のMySpaceがそれぞれオープンされた。1998年に結婚しており、現在二児 (娘2人) の父親である。自ら立ち上げたファッションブランドCharm Cult (現在は消滅)、Moonage Devilment、MENTAL、レディース部門のJubilee & Mayhem (現在は消滅)を率いつつ、2006年9月にセレクトショップGLAM ADDICTION(以前の名称はDARK ROOM)を代官山にて開店(現在は渋谷に移転している)。今もってファッション雑誌にも数多く登場している。
シルバーアクセサリーのJustin Davisを愛用、このブランドの日本における広告塔的な存在となっており、Justinと清春がコラボレートした作品も多数製作・販売されている。2003年からソロ活動に入ると、それまでとは対照的にファンへの感謝の気持ちを度々MCやインタビューで口にするようになった。2003年のSADSのツアーからは黒夢の曲も歌うようになり、ソロになった現在もたびたび歌っている (自身以外が作曲した曲も含まれることがある)。ライブの時間は平均で3時間を超え、長時間化する傾向が強まっている。清春は音楽活動の節目節目で、その身にタトゥーを入れてきた。右腕に鳳凰、蠍、蝶。左腕に龍、Sads The Rose God Gave Meの文字、トライバルスター、左胸に蝶、左首筋にトライバルスターのタトゥーがある。黒夢の活動変遷からも窺えるようにその時々によって著しく音楽性・ファッションスタイルを変える一方で、キッズの頃に衝撃を受けたミュージシャンに対する憧れとリスペクトの念は今も持ち続けている。DEAD ENDのMORRIEはその一番の対象であり、デビュー時からセールス的な絶頂期においても様々な紙面でMORRIEに対する憧れと、その存在が自身をミュージシャンにさせるモチベーションであった事を到る所で語っている。昔は西城秀樹、沢田研二に憧れていた。高校生の時にはTHE STREET SLIDERSのファンになり、ファッション面でも大きな影響を受けている。また、GARNET活動時に人時にやりたい音楽として聴かせたバンドにはスージー・アンド・ザ・バンシーズ、ASYLUMなどがある。なお他にはZIGGY、GASTUNK、AUTO-MOD、GILLE'LOVESを嗜好していた。黒夢ではのストローヘッド、SHADY DOLLSの奴隷、ステッペンウルフのBorn to Be Wild、ダムドのNEW ROSEをカバーしている。BUCK-TICKのトリビュートアルバム『PARADE〜RESPECTIVE TRACKS OF BUCK-TICK〜』で「JUST ONE MORE KISS」をカバー、hideのトリビュート・アルバム『hide TRIBUTE SPIRITS』で「Beauty & Stupid」をカバーしている。ソロアーティストとして影響されたのは井上陽水であるとインタビューで語っている。シドのボーカル・マオは清春に憧れていると公言しており、ライブにもよく顔を出している。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。