エド・バロー(Edward Grant Barrow, 1868年5月10日 - 1953年12月15日)は、メジャーリーグの元監督、後に球団経営者。イリノイ州スプリングフィールド生まれ。1920年から1940年代のニューヨーク・ヤンキースの躍進を支えた人物。最初新聞社で働いていたバローは、1894年にインターナショナルリーグのホイーリングで監督をつとめ、野球界とかかわりを持つようになる。マイナーリーグ球団の監督をしていた1890年代に、バローは後に名選手となるホーナス・ワグナーを見出したとされる。1902年までマイナー球団のオーナーだったが、1903年から2年間デトロイト・タイガースの監督をつとめている。その後1910年にイースタンリーグの理事長となり、1918年にはボストン・レッドソックスの監督に就任、チームを1年目にワールドシリーズ制覇に導く。しかし1920年に当時のレッドソックスのオーナーだったハリー・フレイジーは、財政難からチームの看板選手だったベーブ・ルースをヤンキースに放出、バローもこの年限りで監督をやめ、ヤンキースのゼネラルマネージャー職をつとめるようになる。彼はヤンキースの選手達に厳しい規律を科し、また元々所属していたレッドソックスから次々と主力選手をトレードすることでチームを強化していく。また同時期に球団経営に関わっていたジョージ・ワイスのファーム整備の効果もあり、1921年から1945年の25年間で、ヤンキースはリーグ制覇を14回、10度のワールドシリーズ制覇という常勝の球団となった。1939年にヤンキースの球団代表となり、1945年に球団がラリー・マクフェイルらに売却されると球団の取締役となったが、2年ほどで引退した。1953年にアメリカ野球殿堂入りし、同年12月にニューヨークで死去した。
出典:wikipedia
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