西村 基史(にしむら もとふみ、1962年11月17日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。尼崎工高から新日鐵広畑に進む。1981年から4年連続で都市対抗に出場(うち2回は補強選手としての出場)。1981年の同大会では、藤高俊彦との投の二本柱で勝ち進むが、準決勝で東芝の菊地恭一に3ラン本塁打を浴び敗退。1983年の同大会でも準決勝に進み先発として起用されるが、この大会に優勝した東芝の黒紙義弘、池田親興(日産自動車から補強)、川端順の継投の前にまたもや苦杯を喫した。1982年アマチュア野球世界選手権日本代表、1983年ロサンゼルスオリンピック予選日本代表に選出されている。新日鐵広畑のチームメートに正田耕三がいた。1984年ドラフト2位で日本ハムファイターズに指名されて入団。日本ハム時代は左のワンポイントリリーフやロングリリーフなどで起用され、11年間で226試合に登板するなど活躍。1989年10月3日の対ダイエー戦ではウィリー・アップショーに死球を与え、二塁ベース後方まで走って逃げたが捕まり、大腰のような投げ技でグラウンドにたたき付けられた挙句、両軍選手がアップショー目がけて殺到した際に、選手たちが折り重なって下敷きにされた。その後、アップショーが顔面から流血するほどの大乱闘となり、アップショーは退場処分。一方の西村も腰を強打したため降板した。1995年秋にダイエーへ金銭トレードで移籍し、専らワンポイントリリーフとして起用された。1997年限りで現役引退。引退後は埼玉西武ライオンズの打撃投手を務めた後、2012年からは同年から活動を開始した富山県のクラブチーム・ロキテクノベースボールクラブの監督に転じた。2013年より同チームのヘッド兼投手コーチに就任。
出典:wikipedia
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