第2歩兵師団(だいにほへいしだん、U.S.Army 2nd Infantry Division)は、アメリカ陸軍の師団の一つ。1917年にフランスで編成。第一次世界大戦においては陸軍部隊と海兵隊部隊との混成部隊だった。第二次世界大戦ではヨーロッパ戦線にて活動している。初めて実戦に参加したのは1944年6月7日、つまりD-デイ(D-Day)の翌日で、ノルマンディーのオマハ・ビーチに上陸した。以後、バルジの戦いなどに参加しており、1945年5月7日にはピルゼンを攻撃中だった。第9、第23、第38歩兵連隊を基幹として編成されていた。朝鮮戦争への参加以来北朝鮮からの侵攻即応部隊として韓国の軍事境界線付近に駐在しておりKATUSA(米陸軍韓国人増強兵)を含む。第2歩兵師団本部と隷下旅団2個は韓国、1個旅団は米国本土西海岸ワシントン州フォートルイス(シアトルから南)という状態が冷戦後の陸軍縮小により続いていた。在韓米軍の第8軍指揮下にある。2003年3月に開始されたイラク戦争以降、米陸軍ではイラク及びアフガニスタン派遣部隊の隊容を整えつつも欧州や韓国から米国本土へ師団を帰還させ、かつ師団中心の編制から旅団中心の編制への改編が進められた。このピーター・シューメーカー陸軍参謀総長下でのモジュラーフォース改編では従来、1個師団につき隷下戦闘旅団を従来の3個から1個を加えて4個へ増加する一方で、軍団隷下の砲兵旅団や対空旅団、各師団隷下の工兵旅団、師団支援集団、砲兵旅団を大きく改編し各師団隷下旅団へと工兵、支援、砲兵を隷属させ、自己完結して作戦を遂行する能力を与えるものである。この新たな旅団には大きく分けて3つの型があり、それぞれ重旅団戦闘団、歩兵旅団戦闘団、ストライカー旅団戦闘団と呼ばれる。第2歩兵師団についてもピーター・シューメーカーの先代であるエリック・シンセキ陸軍参謀総長の時代のフォートルイスにおけるストライカー旅団導入に続き、この一連の変革の波とあわせていくつかの動きがある。韓国の首都ソウルと南北軍事境界線との間の基地から移転し、ソウルから南の平澤へと移転する取り組みが予定されたが2015年現在実現していない。また、2004年8月から駐留兵力を2個旅団戦闘団から1個旅団戦闘団へ削減し1個旅団戦闘団がイラク派遣後に米本土へ帰還した。このころの師団兵力は約17000人でうち約10000人が韓国に駐留していた。フォートルイスの第2旅団戦闘団は他旅団の部隊名称変更を待って第5旅団戦闘団より改称された。2012年にはフォートルイスの3個旅団戦闘団が第2歩兵師団の名称を残したまま再開隊された第7歩兵師団の傘下に移された。このため1個旅団戦闘団基幹の例外的に小さな編制の師団となっている。残る旅団戦闘団についても、第1旅団戦闘団については2015年7月1日をもって閉隊、その後は米本土からローテーションで1個旅団戦闘団を駐留させる計画である。まず第1騎兵師団第2旅団戦闘団がその任務に就いた。
出典:wikipedia
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