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北陸本線

北陸本線(ほくりくほんせん)は、滋賀県米原市の米原駅から石川県金沢市の金沢駅までを結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。このほか、日本貨物鉄道(JR貨物)の通称「敦賀港線」とも呼ばれる敦賀駅 - 敦賀港駅間の貨物支線を持つ。滋賀県湖北地区の米原市から北上し、北陸地方の福井県を経由して金沢市の金沢駅に至る。米原駅では東海道本線、金沢駅ではIRいしかわ鉄道に接続している。2015年3月13日までは新潟県上越市直江津駅までの路線であったが、同年3月14日の北陸新幹線金沢延伸開業に伴い、並行在来線となる金沢駅 - 直江津駅間がJR西日本から経営分離され、石川県部分は「IRいしかわ鉄道」、富山県部分は「あいの風とやま鉄道」、新潟県部分は「えちごトキめき鉄道」と、それぞれ県ごとに設立された第三セクター鉄道会社に移管された。なお、北陸新幹線は九州新幹線と同じ、JR線路名称公告における独立した路線として扱われており、北陸本線の増設線ではない。東日本旅客鉄道(JR東日本)の信越本線・羽越本線・奥羽本線とともに、日本海に沿って近畿と北陸・東北を結ぶ日本海縦貫線の一部を構成している。京阪神・名古屋の各都市圏から直通の特急列車が数多く運転され、JR貨物による貨物列車の往来も多い。全線電化完成後は直流電化と交流電化に電化方式が分かれており、このため当路線を走行する電車や機関車は両方の電源に対応した交直流車両が用いられている。しかし米原側では国鉄分割民営化後に直流電化の区間が延伸され、現在では京阪神地区の東海道本線や湖西線を走る直流電車が敦賀駅まで乗り入れるようになった。JR西日本発足後、米原駅 - 長浜駅間は東海道本線の米原駅 - 京都駅間とともに「琵琶湖線」の愛称が付けられ、1999年より米原駅 - 近江塩津駅間が旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「大阪近郊区間」に編入された。同区間はIC乗車カード「ICOCA」の近畿圏エリアに含まれている。敦賀駅 - 金沢駅間は2023年春の北陸新幹線の敦賀延伸開業に伴って、JR西日本から経営分離され、金沢駅 - 福井県境間はIRいしかわ鉄道が引き継ぐ予定である。なお、石川県境 - 敦賀駅間については、福井県がその区間による第三セクター鉄道会社を2020年度までに設立するとの旨がなされている。境界駅について公式な発表はない。各区間ごとの管轄は以下のように分かれている。北陸本線には優等列車として以下の列車が運転されている。北陸本線での特急列車は、1961年の「白鳥」が最初で、その後初の交直流特急電車(481系)により「雷鳥」「しらさぎ」の運転に続き、さらには上野駅発着の電車特急も運転開始した。並行する新幹線がなかったため、大阪・名古屋方面および新潟・越後湯沢(上越新幹線と接続して東京)方面への特急列車が多数運転されていた。1975年3月10日の改正から大阪駅発着の特急列車は湖西線を経由するようになり、近畿地方と北陸地方の所要時間短縮が実現した。湖西線では時折比良おろしと呼ばれる強風などで運転見合わせが発生することがあり、この場合は湖西線経由の特急も米原駅経由で運転される。一方湖西線開業後の東海道新幹線米原接続のため、特急「加越」が新設された。この「加越」は2003年10月1日の改正で「しらさぎ」に統合されて米原・名古屋方面への特急は1時間あたり1本程度運転されている。一方上越線経由「はくたか」と信越本線経由「白山」で運転されていた北陸と東京を結ぶ特急列車は上越新幹線、さらにはほくほく線の開業により越後湯沢までの「はくたか」として1時間あたり1本運転されていた。このほか、臨時列車ながらほぼ定期列車化された「トワイライトエクスプレス」があった。豪華な車内でマスコミ等にもよく取り上げられ、知名度の高い列車であるが、もともと観光列車でありツアーなどの利用も多く、近畿地方・北陸地方と北海道間の移動が主で、北陸線内のみの移動には適さない。深緑の車体は非常に目立ち、北陸本線の被写体としてよく取り上げられていた。かつては高山本線経由の列車が金沢駅 - 富山駅間を走っていた。高山本線の特急「ひだ」は運転開始当初は金沢駅発着であり、また急行「のりくら」の一部は金沢からさらに七尾線へも乗り入れていたが、現在は高山本線との直通列車はない。また福井県内の連絡列車として福井駅発着の小浜線直通の急行「わかさ」も運転され、小浜線直通の急行としては山陰本線出雲市駅まで乗り入れていた「あさしお」(のちに「大社」に統合)もあったが、これも現在は運転されていない。また、北陸本線全線を通じて運転される近畿地方と北陸地方・東北地方を結ぶ夜行列車として、2012年3月16日まで寝台特急「日本海」が青森駅まで(1988年3月13日から2006年3月17日まではさらに青函トンネルを潜って北海道に渡り函館駅まで)毎日運転されていたほか、大阪駅 - 新潟駅間の「きたぐに」も貴重な583系電車使用列車として毎日運転されていた。またこの「きたぐに」は郵便・荷物車の連結があった客車時代には名古屋と北陸地方の荷物・郵便の受け渡しも担っており、名古屋 - 北陸地方間の深夜帯列車でもあった。電車化後は荷物郵便車は連結されていないが、「きたぐに」は2012年3月17日のダイヤ改正で定期運転を終了するまで米原駅経由で運転し、名古屋方面との接続を行っていた。一方、東海道新幹線開業後も上越新幹線開業前は東京と北陸地方の移動は直江津駅経由による夜行列車が主であった。東京と北陸地方間の最短経路ながら輸送力に制限のある信越線経由に加え、距離が長くなる上越線経由でも夜行列車が存在していた。以前は北陸本線の全線を運転する客車で編成された長距離普通列車が多かったが、国鉄末期にはほぼ全列車が急行から転用の475系や特急車両改造の419系により電車化された。電車化により列車の運転区間は徐々に短くなり、区間運転の列車も増加した。2006年10月21日の新快速の敦賀乗り入れ開始で敦賀駅を境に、2011年3月12日の敦賀駅 - 金沢駅間(小松駅 - 金沢駅間の一部列車をのぞく)の新型車両521系への置き換え完了により金沢駅を境に、運転系統が原則として分断された。敦賀駅を越えて運転する列車は朝の湖西線近江今津発福井行きの下り1本のみとなり、金沢駅を越えて運転する列車は2014年3月15日に消滅した。特急列車と貨物列車が多数運転されているため、特急列車・貨物列車待避を行うことが多く、接続・通過待ち時間が30分を超える列車もある。また普通列車同士の接続が40分以上という場合がある。おおむね、1時間あたり米原駅 - 長浜駅間では2本、長浜駅 - 敦賀駅間では1本程度設定されている。敦賀駅に近づくほど列車の本数は少なく、日中は基本的に新快速のみ運転されている。当路線内では新快速・快速ともに各駅に停車する。新快速の多くは敦賀駅・近江塩津駅・長浜駅から東海道本線・山陽本線(琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線)を経由して、姫路駅・山陽本線網干駅・赤穂線播州赤穂駅まで直通運転している。日中の敦賀駅発着の新快速は湖西線経由で運転されている。ほかに、山陽本線上郡駅から近江塩津駅まで運転される新快速や夜の大阪行きの新快速(いずれも土曜・休日ダイヤのみ)などがある。日中時間帯は1時間あたり米原駅 - 長浜駅間で2本、長浜駅 - 近江塩津駅間および近江塩津駅 - 敦賀駅間で1本の新快速が運転されている。琵琶湖環状線構想の実現として、日中の新快速は湖西線経由の敦賀駅発着の列車と近江塩津駅折り返しの米原駅経由の列車同士で対面乗り換えができるようになっている。快速は朝晩のみ運転されており、近江塩津駅 - 敦賀駅間では2006年10月21日から湖西線直通の快速列車が運転されている。前記の新快速・快速を補完する形で朝晩を中心に運行される。全区間を走る列車のほか、長浜駅・近江塩津駅発着の区間列車も設定されている。ただし、近江塩津駅 - 敦賀駅間のみを走る普通列車はない。湖西線と直通運転する近江今津駅発着の普通列車があり、多くは敦賀方面との直通である。ただし、近江今津発米原行きの普通列車が朝に1本、長浜発近江今津行きの普通列車が夕方に1本ある。敦賀発湖西線経由京都行きの普通列車も夜19時台に1本ある。また、琵琶湖線と直通運転する京都発長浜行き(平日2本、土曜・休日1本)の普通列車もある。逆の長浜発京都行きは2014年3月15日の改正で消滅した。米原駅 - 長浜駅間では、当該区間では普通列車として運転されるが、大阪発5時台(米原発7時台)の長浜行きは京都駅まで、大阪発18時台(米原発20時台)の長浜行きと長浜発7時台の加古川行きは大阪駅 - 高槻駅間で快速運転を行う。2011年3月11日までは朝5時台の長浜発で京都駅 → 明石駅間で快速運転する列車が設定されていた。2月・10月および11月の日曜日や祝日・ゴールデンウイークなどに米原駅 → 木ノ本駅間で臨時列車「SL北びわこ号」が運行されている。通過駅があるが、列車種別は快速ではない。2015年3月14日現在、この区間内では敦賀駅・福井駅・金沢駅のそれぞれの間を結ぶ普通列車と、小松駅 - 金沢駅間の普通列車が基本となる運行形態である。朝夕のラッシュ時には武生駅・芦原温泉駅で折り返す列車や大聖寺駅・美川駅・松任駅 - 金沢駅間の列車も運転されている。ただし、芦原温泉発武生行きの普通列車は廃止されていて、現在は設定がない。日中は、ほとんどの列車が福井駅で運転系統が分断され、金沢駅では毎時0分に福井行き、30分に小松行きが交互に発車するようにダイヤグラムが組まれている。日中時間帯(10 - 15時台)は1時間あたり敦賀駅 - 福井駅 - 小松駅間は1本程度、小松駅 - 金沢駅間は2本設定されている。かつては日中にも武生駅・芦原温泉駅折り返し系統があったが、2010年3月13日のダイヤ改正で武生駅 - 福井駅間の1往復を除いて廃止された。福井駅での日中の上り普通列車同士の接続が50分近くかかるのはその名残である。また、 越前花堂駅 - 福井駅間では越美北線(九頭竜線)の全列車が乗り入れる。かつては芦原温泉発九頭竜湖行き(九頭竜湖駅開業前は勝原行き)の普通列車も存在した。2015年3月14日現在、朝4時台の福井発敦賀行きで快速運転を行っている。1982年11月14日まで急行「くずりゅう」として運転されていた福井発米原行きの早朝1本が快速に格下げされ、のちに何度か普通列車に格下げされたり快速に格上げされたりしながら、敦賀駅で新快速と連絡する現在の上り快速列車に至っている。福井駅 - 金沢駅間においても、かつては快速列車や途中駅から快速運転を行う列車が設定されていた。普通列車が客車で運転されていた1960年代に、福井駅 - 富山駅間で471系電車6両編成による快速「こしじ」がおおよそ1時間おきに運転されていたことがあった(年代によってはうち1往復は特別快速)が、のち普通列車の電車への置き換えにともない廃止となった。その後は都市間を移動する旅客の特急列車利用への移行もあって快速列車の設定は少なく、国鉄時代とJR時代にそれぞれ快速が設定されては廃止されている。ただし両者の性格は異なるものであり、国鉄時代は前述の快速「こしじ」の流れを汲むもので停車駅は福井駅 - 春江駅 - 丸岡駅(一部停車) - 芦原温泉駅 - 大聖寺駅 - 加賀温泉駅 - 動橋駅 - 粟津駅 - 小松駅 - 寺井駅 - 美川駅 - 松任駅 - 金沢駅と全区間で快速運転されていたのに対し、JR発足後に設定された快速は福井駅 - 小松駅間が各駅停車で小松駅 - 金沢駅間は途中美川駅と松任駅に停車する都市近郊型の区間快速的な性質の列車となり、小松駅 - 金沢駅間運転の普通列車とセットで運転されていた。またラッシュ時には寺井駅や西金沢駅にも一部の快速が停車していた。原則として、始発駅によって列車番号が決まる。米原駅 - 敦賀駅間を始発駅とする列車は下り電車が121、上り電車が120、敦賀駅 - 福井駅間を始発駅とする列車は下り電車が221、上り電車が220(快速のため3220)、福井駅 - 金沢駅間を始発駅とする列車は下り電車が321、上り電車が320から順番に付番され、末尾にMが付く。ただし、大聖寺駅・小松駅・美川駅・松任駅と金沢駅間を結ぶ系統は下り電車が621、上り電車が620から順番に付番されている。特定の曜日のみ運転する電車の一部は9000番台が使われている。長距離を運転していた電車は富山駅で列車番号が変わることが多かった。また2014年3月15日のダイヤ改正で消滅するまでは糸魚川駅で列車番号を変更する下り電車もあった。原則として、他線直通の列車は直通先の列車番号に従う。ただし、新快速などはその付番規則に従う。新快速、越美北線からの直通列車と北陸本線内で完結する列車との間で奇数・偶数が逆転している。日本海縦貫線の一部である北陸本線では、貨物輸送が盛んである。大半の貨物列車は、EF81形電気機関車やEF510形電気機関車が牽引するコンテナ車で編成された高速貨物列車である。貨物支線である敦賀駅 - 敦賀港駅間では1往復の高速貨物列車が運行されていたが、2009年4月1日から運行休止となった。かつては多くの駅で小口扱いの貨物を扱っており、またセメントや石油など多くの専用貨物施設も線内に点在していた。私鉄への直通(社線連絡運輸)も多く、武生駅(福井鉄道)・福井駅(京福電気鉄道)・西金沢駅(北陸鉄道)・富山駅(富山地方鉄道)には貨物取扱駅コードも割り当てられていた。神岡線・富山港線・氷見線・城端線・高山本線や七尾線などの工場専用線から発着する貨物もあり、現在でも城端線・氷見線では二塚駅・高岡貨物駅が受け皿となってコンテナを集約し、枝線からの貨物列車の組成を行っている。現在は小口扱い駅や社線連絡は消滅し、南福井駅でコンテナ貨物の取扱をしている。北陸本線では、全列車がJR西日本の車両によって運転され、以下の車両が使用されている。詳細は各列車記事を参照なお、米原駅 - 敦賀駅間の直流電化区間では、223系などの直流専用車両と521系などの交直両用車両との間で、優先座席の位置が逆転している。臨時列車は季節ごとに設定されるため、使用車両・所属は季節によって変更される場合もある。突然設定がなくなり、廃止となる場合もある。JRでは沿線地域向けに、普通列車に関しては乗り放題タイプの特別企画乗車券「北陸おでかけパス」の発売や快速「ホリデーライナーかなざわ」の運行、特急列車に関しては往復タイプの特別企画乗車券「タウン特急往復きっぷ」・「金沢富山往復きっぷ」、定期券と併用する自由席回数特急券「トクらく」や特急用定期券「パスカル」の発売、途中停車駅の増加と停車間隔の均等化などが実施されている。このほかPRISM FUKUIのオープンやマリエとやまの増改築、金沢百番街トレンド館を全面改装して「Rinto」としてリニューアルオープンさせるなど、駅ビルおよび周辺を開発して買い物需要の発掘による鉄道利用の増加に努めている。また遠方からの旅行需要を喚起するため、通年(一部商品は利用制限期間あり)で、JR東日本からは往復プラス乗り放題タイプの特別企画乗車券「北陸フリーきっぷ」が首都圏エリアの主な駅のみどりの窓口および主な旅行代理店で、往復タイプの特別企画乗車券「北陸往復きっぷ」が新潟エリアの主な駅のみどりの窓口および主な旅行代理店で、JR東海からは往復タイプの特別企画乗車券「北陸往復割引きっぷ」と往復プラス乗り放題タイプの特別企画乗車券「北陸観光フリーきっぷ」が名古屋地区および周辺の主な駅の窓口および主な旅行代理店で発売されている。ほかにも半年および1年おきに見直しがあるものの、通年に近い状態で発売されている北陸方面への旅行者向け特別企画乗車券が多数存在する。さらに2004年からJR東日本とJR西日本で、2006年からはJR東海も加わって、JR本州3社共同でキャンペーン「Japanese Beauty ホクリク」を実施している。その後キャンペーン名称が「JAPANESE BEAUTY 北陸キャンペーン」に変わり、2010年からは「Japanese Beauty Hokuriku キャンペーン」となっている。期間中、駅ポスターなどの交通広告を中心に3社共通の宣伝を展開したり、旅行商品ラインナップや期間限定の特別企画乗車券を充実させたり、鉄道利用者用の特典や体験メニューを用意したりして、各方面からの北陸本線の利用促進を図っている。集計当時の路線である米原駅 - 直江津駅間では、普通列車の輸送密度は主要駅ごとに区切ると、あいの風とやま鉄道とえちごトキめき鉄道へ移管された泊駅 - 糸魚川駅間が最も低く、特に富山県と新潟県の県境がある越中宮崎駅 - 市振駅間の利用者数は1列車あたり20人程度、1車両あたり7人程度である。2007年11月13日における北陸本線石川県内区間の旅客流動は以下の通りである。ただし以下の数値には夜行列車の利用者が含まれていない。2005年11月15日における北陸本線富山県内区間の旅客流動は以下の通りである。ただし以下の数値には夜行列車の利用者が含まれていない。2012年5月29日には鉄道利用調査が大聖寺駅 - 糸魚川駅間で石川県と富山県によって合同実施された。1889年(明治22年)に米原駅で東海道本線と接続する形になってから長い間、普通列車もそのほとんどが米原駅 - 敦賀駅間およびそれ以北の長距離列車で、この区間のローカル需要に合致したものではなかった。昭和初期に近江鉄道(米原駅 - 彦根駅間)や、米原駅 - 長浜駅間のバス路線開通に対抗するためにガソリンカーキハニ5000形とその後キハニ36450形が運転されていた。明治初期に開通した柳ヶ瀬トンネルを経由するルートは勾配が輸送力のネックになっており、その解消のため木ノ本駅から疋田に塩津経由の新線が開通し、普通列車を含む北陸線列車は新線経由となった。旧ルートは柳ヶ瀬線として気動車列車での運転となったが、のちにこの区間は廃止になった。深坂トンネルを含む新線区間は田村から交流電化で開業し、客車で編成された普通列車を電気機関車が牽いていた。米原駅 - 田村駅間の方は蒸気機関車、のちにディーゼル機関車による牽引で、田村駅で機関車交換を行っていた。古くは大阪や名古屋方面との直通であった普通列車は東海道線普通列車の電車化によって米原駅を始発終着とするようになったが、機関車に牽かれる客車の長い編成で運転され、大阪駅や東京(隅田川駅)に直通する郵便車や荷物車を繋げているものも多かった。また彦根駅 - 中ノ郷駅を連絡していた気動車列車は柳ヶ瀬線廃止後も米原駅 - 木ノ本駅間の区間列車を中心に、一部が彦根駅まで運転されていた。一方で湖北地区は以前は北陸本線がローカル輸送を主にしていないことから、バス網が発達していた。国鉄バスが木ノ本に支所を置き、柳ヶ瀬線の列車廃止代替路線などのほか最盛期は名神米原や敦賀、近江今津まで路線を持っていた。また近江鉄道(バス)は米原 - 長浜 - 木ノ本間で20分おきの高頻度運転を行っていた。その後、長浜直流化を契機としてバス網の縮小・撤退が相次ぎ、多くが駅を起点とするコミュニティバスに衣替えされ残るのみである。1974年7月20日に湖西線が開業し、近江塩津駅 - 敦賀駅間で3往復の湖西線直通の普通列車が気動車で運転されるようになったが、本数が少なく、北陸線列車との接続も悪かった。多くの客車普通列車は1985年3月14日の改正で交直流電車の475・419系電車に置き換えられたものの、長らく電化方式の違いにより交直流電車をローカル用に新製することはできず、北陸線ローカル列車は本数も少なく、東海道線と米原駅で乗り換える必要があり不便であった。また気動車の彦根駅までの運転は1989年3月11日に米原駅発着の新快速増発により廃止になった。そこで地域を活性化する手段として京阪神からの新快速の直通運転を滋賀県と長浜市が主体で計画し、費用の地元負担により1991年9月14日に米原駅 - 長浜駅間が直流電化に切り替えられた。これは坂田駅 - 田村駅間に設置されていた交直のデッドセクションを長浜駅 - 虎姫駅間に移設し、長浜駅まで直流電車の乗り入れを可能とさせたものである。この結果本数の増発などで観光客の増加・地元人口の増加などの効果を呼び、大きな成果を上げた。この長浜駅までの直流化により、木ノ本駅までの区間運転も電車に置き換わり、本数も増発された。のちに区間運転の一部は琵琶湖環状線構想の一環として近江今津駅まで延長され、湖西線北部区間との直通運転が始まった。さらに福井県と敦賀市が観光客誘致を目的に敦賀駅までの直流化を計画し、2006年9月に直流へと電化方式が変更され、同年10月21日より京阪神から新快速が直通し、現在に至っている。敦賀駅までの直流化のもう一つの目的である琵琶湖環状線構想の実現として、湖西線経由の敦賀駅発着の新快速と近江塩津駅折り返し米原駅経由新快速が同一ホーム乗換で短時間接続となるようにダイヤ設定された。また1時間あたり1本の新快速以外に、一部時間帯に米原駅・長浜駅 - 近江塩津駅・敦賀駅間列車が設定されており、湖北地区では一部時間帯をのぞき1時間あたり2本が、また湖北 - 湖西間も近江塩津駅乗り換えで1時間あたり1本の列車が運行されていたが、2011年3月12日の改正で一部列車が廃止または臨時列車(土曜日・休日のみ)に変更された。長浜駅以北の各駅でホームの整備が行われた。直流用125系電車の増備(従来の小浜線用車と増備車が小浜線も含め共通運用)と交直両用の新形式車両521系電車新製により、この区間は京阪神直通の223系とローカル用の両形式で運転されることとなった。なお、JR化後のこの区間のローカル輸送関連では地元自治体が駅舎や駅前広場整備、あるいは利用促進のための自治体広報PRや、京阪神からの観光客呼び込み施策などを積極的に行っている。直流化工事も地元負担によるものが大きく、利用促進の一方でさらなる増発要望をJR西日本に出している。さらに、同区間では北陸本線内で完結する列車(ほかに近江塩津駅から湖西線へ乗り入れ、近江今津駅以北のみ運転する列車)と、米原駅から琵琶湖線へ乗り入れる列車(ほかに近江塩津駅から湖西線へ乗り入れ、近江今津駅以南も運転する列車)との間で、列車番号の奇数・偶数が逆転している。これは前者が米原駅起点を基準とした北陸線の上下方向に、後者が琵琶湖線(JR京都線)の上下方向に列車番号を合わせているためである。親不知・子不知に沿って走るこの区間は災害多発区間であり、1922年には親不知駅 - 青海駅間の勝山トンネル付近で90名の死者を出した北陸線列車雪崩直撃事故が発生している。そこで複線化にあたっては、市振駅 - 親不知駅間は親不知トンネル(新)を含む新線を建設して旧線を放棄、親不知駅 - 青海駅間は上り線専用の新子不知トンネルを山側に建設して複線化を実施した。うち、線路移設を伴った市振駅 - 親不知駅間については、中間にあった風波信号場を境に、1965年(市振駅 - 風波信号場間)と1966年(風波信号場 - 親不知駅間)の2回にわたって、複線化を実施し、1966年に糸魚川までの電化を達成した。なお、風波信号場 - 親不知駅間については、後に北陸自動車道の用地として転用された。親不知駅 - 青海駅間については、1965年に青海駅から1.1km米原よりの勝山トンネル青海側坑口付近にに黒岩信号場を新設し、新設と同時に以東は線増による複線化を実施(1966年電化)、親不知駅 - 黒岩信号場間については、旧線をスノーシェッド等で強化し単線運転で1966年に先行して電化を実施し、1966年9月30日の新子不知トンネル供用開始により、複線化を達成した。北陸本線は全線が官営鉄道として建設された。長浜駅 - 敦賀港駅間は、東海道線の支線として1889年に開業した。敦賀港が1899年に国際港として開港するとロシアなど大陸との定期航路に連絡する列車が運行されるようになった。木ノ本駅 - 敦賀駅間は、当初の計画では塩津経由とされていたが、柳ヶ瀬駅経由で敷設された。これは柳ヶ瀬駅 - 今庄駅間に連絡線を敷設する意図などがあったため。その後、後述の紆余曲折を経て、1957年の近江塩津駅経由の新線への切り替えに伴い、当初の計画通りの路線に落ち着いた。また柳ヶ瀬トンネル掘削工事は難航し、トンネルが開通するまでの2年ほどは雁ヶ谷駅 - 洞道西口駅間は峠越えの徒歩連絡であった。福井・金沢・富山方面への延伸にあたっては、政府の財政難から民間資本による建設が計画されたが、不況で資金が集まらず会社設立まで至らなかったことや、鉄道敷設の仮免状下付にまで漕ぎ付けたものの内紛から着工することができなかったため、結局その後、敦賀以北も官営鉄道として建設することが決定され、1893年に着工された。1896年に敦賀駅 - 福井駅間が開業し、同年に北陸線と命名された。この時、敦賀駅 - 今庄駅間は険しい山地を避け海側の杉津駅経由で建設されたが、それでも25‰の急勾配と12か所のトンネル、4か所のスイッチバックが連続する難所となった。「北陸線の盲腸」とまで謂われた路線ではあるが、その路線風景の美しさは鉄道唱歌にも詠われたほどである。時の大正天皇が行幸行脚した際には杉津駅で汽車の発車を止めて、しばし眼下に広がる敦賀湾の眺望を堪能したという逸話も残っている。路線はさらに延伸され、1899年には富山駅まで開業した。当時の富山駅は神通川の付け替え(馳越線)の計画があったことなどから、1903年に神通川が付け替えられた後の1908年に神通川橋梁が完成するまで神通川左岸にあたる田刈屋に設けられた。富山駅 - 直江津駅間は富山線(富山東線・富山西線)として建設された。途中、北陸最大の難所といわれる親不知海岸を通る。1909年の線路名称制定時には米原駅 - 魚津駅間が北陸本線とされ、その後、糸魚川駅までは北陸本線として開業し、その先の糸魚川駅 - 直江津駅間は信越線の一部として開業した。1913年に最後の青海駅 - 糸魚川駅間が開業した事で、米原駅 - 直江津駅間の全線が北陸本線となった。全通してからは輸送力増大のため、勾配緩和や複線化などの路線改良が課題となった。木ノ本駅 - 敦賀駅間は日本初のダイナマイト掘削による柳ヶ瀬トンネルなどを含む鉄道敷設黎明期の旧規格の急勾配区間であり、開業時より土砂崩落、雪害、線路凍結やヤスデ異常繁殖による車輪空転事故、トンネル内の窒息事故などが頻発していた。就中、1928年12月の柳ヶ瀬トンネル内の窒息事故を契機に深阪経由の新線を敷設することが決定した。戦争を挟んで工事が一旦、中断したものの戦後第一次5か年計画として1952年に再開。不況により再度中断するもの1957年に木ノ本駅 - 敦賀駅間が近江塩津経由の新線に切り替えられた。この時、同区間の旧線は柳ヶ瀬線として分離される。その後、柳ヶ瀬線は勾配区間用にエンジン2基搭載したディーゼル車キハ52を投入したものの、赤字線から脱することができず、北陸本線並走区間複線化への路盤提供のためもあり、1964年に廃止されている。詳しくは当該項目を参照。引き続き第二次5か年計画として敦賀駅 - 今庄駅間の改良工事に着手。1962年には全長13,870mの北陸トンネルが開通し、敦賀駅 - 今庄駅間が新線に切り替えられ、杉津駅経由の旧線は無事故を記録したまま廃止された(詳細は北陸トンネル、旧線各駅の項を参照)。現在、木ノ本駅 - 敦賀駅 - 今庄駅間の旧線ルートの大半には北陸自動車道が通っている。刀根下り、杉津上り両パーキングエリアはかつての駅跡である。この路線変更によりかつての急行停車駅であった中ノ郷駅・今庄駅近辺は寂れ、杉津駅が廃止されたことにより、越前海岸に停車する駅が失われた。柳ヶ瀬区間および杉津区間の記録フィルムが2004年に再発見されJR西日本金沢支社の手で編集、DVD化されている。旧線区間に残されたトンネルは複数の文化財に認定されている(旧北陸線トンネル群を参照)。路線改良はこれに留まらず、勾配緩和を目的とした倶利伽羅峠越えや、海岸沿いの断崖に沿って急曲線の続く親不知付近や、さらにはフォッサマグナ西縁部にあたり、地盤が脆弱で地すべりによる脱線転覆事故が多発していた浦本駅 - 直江津駅間など、いずれも長大なトンネルを含む新線に付け替えられ、輸送力や速度向上、輸送障害の減少などが計られた。一方で風光明媚な海岸線の眺望などの喪失を残念がる年配者の声もある。電化および複線化も順次進められた。1957年に田村駅 - 敦賀駅間が電化され、1969年には全線の電化・複線化が完成した。田村駅 - 梶屋敷駅間の電化では交流60Hzが採用されたが、交流電化としては仙山線に次いで日本で2番目、60Hzは日本初である。なお、民営化後に新快速など京阪神方面との直通運転のため1991年9月に田村駅 - 長浜駅間が直流電化に転換され、2006年9月24日には長浜駅 - 敦賀駅間が湖西線の永原駅 - 近江塩津駅間とともに直流電化に転換された。2015年3月14日には北陸新幹線の長野駅 - 金沢駅間が開業し、金沢駅 - 直江津駅間はJRの経営から分離された。同区間のうち金沢駅 - 倶利伽羅駅間はIRいしかわ鉄道、倶利伽羅駅 - 市振駅間はあいの風とやま鉄道、市振駅 - 直江津駅間はえちごトキめき鉄道が運行している。なお、北陸本線の富山駅と接続していた富山港線は、北陸新幹線建設に伴う富山駅周辺連続立体交差化事業の影響でJRと経営分離し、第三セクター鉄道の富山ライトレールとなったが、並行在来線の経営分離とは関係が無く、この会社が並行在来線の運行主体ではない。北陸本線の列車の詳細な沿革については、以下の各項目を参照(それぞれ前身列車も含む)。なお、「かがやき」「はくたか」「つるぎ」は北陸新幹線の列車名として使われている。以下に記述する駅以外は、簡易委託駅もしくは無人駅である(ただし簡易委託駅のうち、高月駅はみどりの窓口、虎姫駅・今庄駅・南条駅・森田駅・丸岡駅・加賀笠間駅・野々市駅の7駅にはPOS端末設置)。金沢駅 (176.6km) -(貨)金沢貨物ターミナル駅 - 東金沢駅 - 森本駅 - 津幡駅 (188.1km) - 倶利伽羅駅 (194.4km) - 石動駅 - 福岡駅 - 西高岡駅 - 高岡駅 (217.2km) - 越中大門駅 - 小杉駅 - 呉羽駅 - 富山駅 (236.0km) -(貨)富山貨物駅 - 東富山駅 - 水橋駅 - 滑川駅 - 東滑川駅 - 魚津駅 (261.5km) - 黒部駅 (267.8km) - 生地駅 - 西入善駅 - 入善駅 - 泊駅 (285.1km) - 越中宮崎駅 - 市振駅 (294.5km) - 親不知駅 - 青海駅 - 糸魚川駅 (315.0km) - 梶屋敷駅 - 浦本駅 - 能生駅 - 筒石駅 - 名立駅 - 有間川駅 - 谷浜駅 - 直江津駅 (353.8km)名称(駅・信号場などの別含む)は廃止時点のもの。柳ヶ瀬線も参照。( )内は起点からの営業キロ。第三セクターへの経営移管区間第三セクターへの経営移管区間第三セクターへの経営移管区間

出典:wikipedia

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