エドワード・ゴーリー(Edward Gorey, 1925年2月22日 - 2000年4月15日)は、アメリカの絵本作家。本名はエドワード・セントジョン・ゴーリー(Edward St.John Gorey)。絵本という体裁でありながら、道徳や倫理観を冷徹に押しやったナンセンスな、あるいは残酷で不条理に満ちた世界観と、徹底して韻を踏んだ言語表現で醸し出される深い寓意性、そしてごく細い線で執拗に描かれたモノクロームの質感のイラストにおける高い芸術性が、「大人のための絵本」として世界各国で熱心な称賛と支持を受けている。また、幻想的な作風とアナグラムを用いたペンネームを幾つも使い分けて私家版を出版したことから、多くの熱狂的なコレクターを生み出している。1925年、イリノイ州シカゴに新聞記者の息子として生まれる。1943年、高校卒業後にシカゴ美術館附属美術大学に入学するが一学期で退学、のち1946年までの3年間陸軍に服務。工兵隊員として毒ガスのテスト等に従事した。除隊後はハーバード大学に入学し、フランス文学を専攻する。詩人のフランク・オハラとはルームメイトであったほか、同じく詩人のジョン・アッシュベリー、作家のジョージ・プリンプトンやアリソン・ルーリーとも交友があった。1950年、メリル・ムーアの詩集『Illegimate Sonnets』の見返しにイラストを描き、これが最初の商業出版となる。1953年、ペーパーバックを出版するダブルデイ社の専属アーティストとして、挿絵やブックデザインなどの仕事を始める。同年、絵本デビュー作品となる『弦のないハープ またはイアブラス氏小説を書く』を発表。1959年、評論家のエドマンド・ウィルソンによる最初の賞賛記事がニューヨーク・タイムズに掲載される。1960年、童話を多く出版するルッキング・グラス・ライブラリー社に移籍。H・G・ウェルズの『宇宙戦争』などのジャケット画やイラストレーションを担当した。1962年、『The Beastly Baby』を出版するため自身の出版社Fantod Pressを立ち上げ独立する。1972年、最初のアンソロジー本『Amphigorey』が出版され、ニューヨーク・タイムズのブックレビューにおいて「今年最も注目すべきアートブック5冊」に選ばれた他、「ベスト・デザイン・ブック15」として、アメリカン・インスティテュート・オブ・グラフィックアーツ賞を受賞。1974年、最初の回顧展がエール大学にて開かれる。1978年、ブロードウェイの舞台『ドラキュラ』のセットと衣裳デザインを担当し、トニー賞を受賞したが、授賞式を欠席する。1980年、アメリカの教育テレビ放送局PBSの番組『』のオープニング・アニメーションを制作。1983年、ニューヨークからマサチューセッツ州のケープ・コッドに引っ越し、1985年にの館を買い取り移転。終の棲家とする。1997年、『The Haunted Tea Cosy』出版と同時に社から過去の作品が再版され始める。1999年、最後の作品となる『The Headless Bust』が出版される。2000年4月15日、マサチューセッツ州の病院にて心臓発作で死去。75歳。同年10月、初の邦訳本『ギャシュリークラムのちびっ子たち』が出版される。ゴーリーは本名での名義以外にも、幾つものペンネームを用いて作品を発表することがあり、そのほとんどはアナグラムによって自身の名前(Edward Gorey)のつづりを入れ替えて作られたものである。以下はゴーリーが用いたペンネームの一例。これらの他にも、Eduard Blutig(エドゥアルド・ブルティグ)やEdward Pig(エドワード・ピッグ)といったペンネームも用いている。※1と※2は、エドワード・リアの詩、※3は、ヒレア・ベロックの詩を基にしている。
出典:wikipedia
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