十七条城(じゅうしちじょうじょう)は岐阜県瑞穂市にかつて存在した日本の城(平山城)。西浦の城山と呼ばれる低い丘にあった。『新撰美濃志』によれば、南北朝時代初頭に土岐頼貞の子・舟木頼胤(土岐頼員の弟・船木頼重と同一人物とも言われる)によって築城された。その後、二階堂氏や仙石秀豊、和田利詮が居城とした時期を経て、享禄年間には林正長が城を改築している。正長の子・林玄蕃は1562年(永禄5年)に織田信長と斎藤龍興の間で起きた軽海の戦いで戦死したため、弟の林正三が後を継ぎ、1578年(天正6年)に逝去するまで城主を務めた。正三の子は稲葉重通の養子になって稲葉正成と名乗り、十七条城で十七条藩・一万石を治めた。その子・稲葉正定は尾張藩へ仕え、やはり十七条村で一千石を治めたが、孫に嗣子がなく1675年(延宝3年)に家が断絶、城は廃城となった。岐阜県瑞穂市十七条256
出典:wikipedia
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