『テレビナイトショー』は、1969年3月31日から1971年9月24日までフジテレビ系列局で放送された深夜番組。1971年3月までは毎週月曜 - 金曜 23:10 - 23:55 (JST) に放送されていたが、同年4月からは23:15 - 24:15に放送されるようになった。日本テレビ系列の日本テレビ史上初のナイトショー番組『11PM』に対抗する番組として放送開始。司会者には前田武彦、高橋圭三ら実力派を曜日別に配し、朝のワイドショー番組『小川宏ショー』、昼のベルト番組である『お昼のゴールデンショー』『3時のあなた』と並ぶ第4の生放送のショー番組として鳴り物でスタートした。月曜、水曜、金曜放送分はフジテレビ、火曜放送分は関西テレビ、木曜放送分は東海テレビ(1969年7月3日放送分から)が制作を担当していた。女性視聴者をターゲットにしていたこともあり、『11PM』が積極的に取り上げていた風俗情報・レジャー情報・政治ネタなどを取り扱うことはあまりなく、歌謡番組・バラエティー番組としてのテイストが強かったため(当時の出演者も人気歌手・人気芸人が大半を占めており、政治家や各分野に精通した評論家、あるいはストリッパーなどといった異色のゲストが登場することはほとんどなかった)、すでに『11PM』で刺激の強い番組内容がこの時間帯の番組内容としては主流として理解されていた中にあっては、広く支持を得ることができず、結局は2年半で番組を終了した。その後、フジテレビは後継番組『トゥモロー』を3か月間放送した後、類似のナイトショー番組の制作からは撤退し、この番組のスタート前と同じように映画・時代劇などの再放送でつなぎ、1976年4月からはそれまでのナイトショー番組とは一線を画す、プロ野球を中心とした「スポーツ」に主眼を置いた『プロ野球ニュース』を立ち上げ、1980年代にかけて『11PM』との熾烈な視聴率争いを展開することとなる。、ほかほか広島テレビやテレビ熊本など当時のフジテレビ系列と日本テレビ系列とのクロスネット局は23時台に『きょうの出来事』や『11PM』を同時ネットしていた関係でこの番組をネットできなかった。月曜日の内容については、この番組の前の時間帯(22時台)で生放送の歌謡番組『夜のヒットスタジオ』が放送されていた関係(ちなみに『ヒットスタジオ』のスタッフと『ナイトショー』のスタッフは同一であった)で、そのまま引き続き『ヒットスタジオ』の司会である前田武彦と芳村真理のコンビが『ナイトショー』月曜日の司会も担当。内容も『ヒットスタジオ』本放送でのゲスト歌手がそのまま居残って出演し、さしずめヒットスタジオ「延長戦」といった色彩の強い内容となっていた(ちなみに第1回(1969年3月31日放送)のゲストの一人として吉永小百合が登場しているが、これもこの日の『ヒットスタジオ』に吉永が出演(この日が吉永のヒットスタジオ初出演の回でもあった)していたことから、そのまま居残りの形でこの番組にも顔を出したことによるものである)。1969年から71年にかけてプロ野球界を覆った日本プロ野球の黒い霧事件を番組で取り上げた。1969年11月にプロ野球界から永久追放処分を受けた永易将之へのインタビューを2回放送した。1970年4月1日放送の回でルポライターの大滝譲司の手による永易へのインタビューの録画が放送され、その中で「私以外に八百長に関係した選手が5,6人いる」と証言した。黒い霧事件に関して、西鉄球団に永易の他にも八百長を行っていた選手がいたことを示唆したニュースであった。ただし選手の実名は放送されなかった。4月8日には、司会者の前田と大滝が永易へインタビューする録画が放送された。
出典:wikipedia
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