ネ20は第二次世界大戦末期に開発され、日本で初めて実用段階に達したターボジェットエンジンである。海軍航空技術廠(空技廠)が中心となって研究・開発が進められ、ほぼ同時に試作された特殊攻撃機橘花へ搭載された。戦時中にナチス・ドイツからもたらされたBMW 003の図面を基にしているが、完全なコピーではなく、ネ12等の先行するジェットエンジンの試作で蓄積された研究結果も活かされている。そもそも図面の大部分と実物のエンジンが積載されていた伊号第二九潜水艦が撃沈された事により海没しているのでコピーのしようがなかった。なお、型式名の「ネ」は「燃焼噴射推進器」の頭文字である。高速で飛行して敵の迎撃をかわし、目標まで到達するというコンセプトの攻撃機である橘花の開発において、機体にはそのような高速飛行を実現できるターボジェットエンジンの搭載が決定された。種子島時休大佐(後の日産自動車顧問)が研究を続けていた噴流式発動機(ジェットエンジン)の研究を基に、空技廠と石川島重工業が軍民一丸となって開発を進めることとなった。開発の過程で問題になったのは耐熱性素材の確保であった。当時はコバルトやニッケル等の希少金属の使用が制限されており、止むを得ずステンレス鋼が使用された。開発は当初、神奈川県の横須賀市追浜にあった空技廠で進められたが、後に疎開して秦野市にある専売局の倉庫で実験が行われた。ネ20は12基試作され、4基が地上試験、1基が空中実験に供されて残りが橘花の飛行試験に充当された。そして終戦までに約50基が量産された。終戦によって開発は中断されたが、その経験は戦後初の日本製ジェットエンジンであるJ3の開発に活かされている。ネ20はドイツの軸流式ターボジェットエンジンBMW 003を参考として作られていた。当時日本では、「TR10」あらため「ネ-10」、続いて「ネ-12」エンジンの開発が進んでいたが、「「ネ-12」エンジンは中途半端なので一切ご破算にし、出直す方が賢明である」として、BMW003を参考に、新たな「ネ-20」(推力475kg)の開発に着手する事となった。ただしBMWエンジンの図面を見た開発陣は、ネ-12エンジンの開発の方向性が間違っていなかったとして、かえって自信を取り戻したという。実際にもネ-20開発はゼロからのやり直しではなく、ネ-12開発の経験が生かされており、外部の技術を参考にした開発計画の継続と言える。1945年6月ようやく完成に漕ぎつけた。軸流式圧縮機を8段備え、圧縮比は約3.1であった。稼働時間(耐久時間)は数十時間と短く、同時期にイギリス、ドイツ等、諸外国で開発された同種のジェットエンジンに比べて短かった(戦後のクライスラー社による試運転では、11時間46分の試運転の後、タービンのザイグロ検査を実施するも、クラックは認められなかった)。耐久性の低さの原因は複数あるが、タービンの素材としてニッケル、コバルトを主成分とした耐熱材料が得られなかった事や、英国やドイツではタービンブレードをタービンディスクに取り付ける部分をはめ込みまたはネジ止めにして熱応力を逃がすと共に、ディスクとブレード間の摩擦によって振動を減衰していたのに対し、ネ20ではそのような構造を用いなかったためにタービン取り付け部に亀裂が生じた事がその主因であった。また、工作精度の低さ等により推力軸受座金(通称プロペラリング)の焼きつきが起こったが、その部材に小柴定雄博士(当時;日立製作所、現;日立金属安来工場冶金研究所)の合金設計したCr-W鋼(クロムとタングステンを含む鋼)を用いることで何とか実用化にこぎつけた。なお、BMW 003等では高圧空気(ブリードエア)を燃焼室の壁面から噴出させることによって、燃焼炎が燃焼室壁面に直接当らないように工夫されていた。戦後に生産されていたネ20は秘密保持のためにことごとく破壊された。これを免れ僅かに残っていたものも研究・試験のためアメリカ軍によりアメリカ本土に持ち去られるなどし、日本には一基も残らなかった。戦後しばらくして日本で開催された第4回国際航空宇宙ショーにアメリカのノースロップ大学が保有していた一基を借りてきて展示することになったが、ショーの終了後も開発者の中心人物の一人であった永野治が、元々接収されたもので所有権は自分たちにあるとして返却することに強硬に反対した。結局、ノースロップ大学の好意もあり永久無償貸与として石川島播磨に保管されることになった。現存する国内に存在するただ一基のネ20がこれである。現在はIHI(旧社名 石川島播磨重工業)の資料館で保全されている。他に1基が、米スミソニアンの航空宇宙博物館別館に展示されている(本記事冒頭部写真)。コンプレッサーの効率を向上させ、その分コンプレッサーの段数を減らして出力と燃費の改善を図った「ネ20改」が設計されたものの、設計のみで試作エンジンは作られなかった。国立科学博物館で設計図の現存が確認され、製作が検討されている。圧縮機が8段から6段へ減らされたが推進力は向上したとされる。橘花に搭載された場合、時速785kmとなりネ20より15%向上し、燃費は24%向上する。戦後、技術は発電機のタービン製作に生かされた。
出典:wikipedia
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