


カルロス・モンソン(Carlos Monzon、男性、1942年8月7日 - 1995年1月8日)は、アルゼンチン出身の元プロボクサー。第8代WBA・WBC世界ミドル級統一王者。第10代WBC世界ミドル級王者。1970年の王座獲得以来、無類のスタミナ、タフネスを武器に連続14度のミドル級王座防衛を達成した。1977年7月30日、ロドリゴ・バルデス(コロンビア)に15R判定勝ちして14度目の防衛に成功すると、「もうリングの中で証明するものは何も無い」と言い残し、統一王者のまま引退した。世界王者となってからは引き分けはおろか、一度の敗北も喫することが無く、1970年代のパウンド・フォー・パウンド最強の一人とされた。快楽主義者で自由奔放な性格。練習嫌いとも噂されていたが、リング上では強さを見せた。1942年8月7日、サンタフェに12人兄弟の8番目として生まれる。1963年2月6日、ラモン・モンテネグロを2回KOしてプロデビューを飾る。1970年11月7日、ニノ・ベンベヌチ(イタリア)に12回KO勝ちでWBA・WBC世界ミドル級王座奪取。1971年5月に行われた初防衛戦での再戦でも3回KO勝ちで勝利。その後も圧倒的な強さで、初代世界スーパーウェルター級王者デニー・モイヤー、技巧派ジャン・クロード・ブーチェやトム・ボックス、強打者ベニー・ブリスコやトニー・ムンディンといった一級の実力者を退け、エミール・グリフィスやホセ・ナポレス、ロドリゴ・バルデスといった名選手もモンソンの軍門に降った。1971年9月25日、ウェルター級、ミドル級の二階級で世界王者となったエミール・グリフィス(米国)に14RTKO勝ちで2度目の防衛。1973年6月に行われた再戦でも15回判定勝ちで7度目の防衛に成功。1974年2月9日、WBA・WBC世界ウェルター級王者ホセ・ナポレス(キューバ)の挑戦を受け、7RTKO勝ちで9度目の防衛に成功。1976年6月26日、WBCがモンソンからタイトル剥奪後、WBC王者となっていたロドリゴ・バルデス(コロンビア)と統一戦を行い、15R判定勝ちで13度目の防衛に成功すると共に、世界ミドル級王座再統一。1977年7月30日、ロドリゴ・バルデスとの再戦に15R判定勝ちし14度目の防衛成功。この試合を最後に王座を返上し引退。引退後の1988年、元恋人のマリシア・ミュニズ殺害の罪で懲役11年の実刑判決を受けサンタフェ刑務所に服役した。1995年1月8日、仮出所中に自らが運転する車で事故を起こして死亡した。52歳没。
出典:wikipedia
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