総理府(そうりふ)は、内閣総理大臣自らが分担管理する事務、および各行政機関の総合調整にかかる事務を所掌した日本の行政機関。旧憲法下における内閣所属部局を母体として過渡期における総理庁を経て、1949年(昭和24年)に新設され、2001年(平成13年)に中央省庁再編により内閣府に統合された。総理府本府(外局を除いたものをいう。)は、総理府の各種機能のうち、総理直轄機能と総合調整機能を有し、内閣総理大臣直属の機関として、事務の性格上総理自らが直轄すべき国の基本に係る事務、その時々の政治判断等により総理自らが直轄すべきと判断した事務を所掌するなど総理直轄機能の中心的役割を担うとともに、内閣官房と一体となって総合調整機能を発揮する点に、他の省等と比べ特徴を有していた。総理直轄機能としては、等がある。総合調整機能としては、例として男女共同参画社会の形成の促進、公益法人行政の推進等がある。中央省庁再編が行われるまで、総理府本府は沖縄開発庁・総務庁と一体的な人事を行なってきた。いずれも総理府の内部部局から派生した外局であることに由来している。総理府の生え抜き官僚は、坂東眞理子のように「総理府入府」と記す例と、「総理府採用」と記す例があった。総理府の前身たる総理庁は、それまで内閣に直属していた統計局や恩給局を所管するために設けられた。これは日本国憲法が個別の行政事務について、内閣の統轄の下に主任の大臣が分担管理することを前提としている(72・74条)と考えられるためである。つまり内閣総理大臣を主任の大臣とする行政機関が、各省と並列して設置されたことになる。内閣総理大臣を補佐する機関としては、閣僚を含む内閣自体の補助機関たる内閣官房がある。総理府本府とは法令上も性質上も異なる組織であったが、ともに内閣総理大臣を主任の大臣とし、その管轄下であったことから、両機関は密接な関係にあった。実際、ほぼ同一の所掌事項に関する課・室を両機関に設置し、当該官を併任(例:内閣官房内閣内政審議室長が、内閣総理大臣官房内政審議室長を兼務)することで、内閣総理大臣の補佐と各省庁間の総合調整を一体的に処理できた。中央省庁再編時、内閣総理大臣のリーダーシップ強化も兼ねて、内閣官房と総理府の統合が模索された。これについて総理府側は、「内閣の組織である内閣の補助部局と、行政事務を分担管理する『府及び省』の一つである総理直属の機関は、本来別のもの」「両者を一体化した『内閣府』を設ける場合は、これを内閣の補助部局としてとらえると、総理府で行われている個別行政事務のようなものまで内閣の所掌とすることとなり、憲法の予想するところではないのではないか」と疑義を呈した。しかし結局、内閣官房との本格統合はならず、総理府は国家行政組織法の枠外で内閣補助事務を所管する内閣府に移行した。
出典:wikipedia
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