内山 正博(うちやま まさひろ、1965年9月25日 - )は、佐賀県三養基郡基山町出身の元プロ野球選手(投手)で元会社経営者(建設業)。小学5年で野球を始め、中学時代に外野手になるが、3年の時に不祥事で対外試合が自粛となったため陸上部に所属した。鳥栖高校の1年秋に投手となり、1983年に夏の甲子園に出場した。桜井高を降し2回戦に進むが東海大一高に大敗。卒業後は青山学院大学へ進学。東都大学リーグでは優勝に届かず、怪我もあってわずか3勝に終わる。東都大学リーグ通算29試合登板、3勝8敗、防御率3.23、28奪三振。大学同期に南渕時高がいる。本田技研熊本に進み1988年の日本選手権に出場。尾崎定己との二本柱で勝ち進み決勝に進出するが、東芝のエース菊池総に抑えられ準優勝にとどまる。1989年の都市対抗にNTT九州の補強選手として出場。1回戦で先発に起用されるが川崎製鉄千葉に敗退。同年には全日本のメンバーに選ばれる。1989年ドラフト外で日本ハムに入団。1年目の1990年から中継ぎとして起用され30試合に登板、翌1991年には先発も兼ねて4勝をあげる。1995年限りで現役引退。引退後佐賀に戻り家業の建設会社を継いだが2010年(自己破産により)経営破綻。低いサイドスローからのシンカーを武器とし、「西武キラー」として知られた。1990年10月9日にダイエーとの対戦でリリーフに立つが、直後に降雨コールドゲームとなり、「0球登板」という珍しい経験をする。
出典:wikipedia
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