グレート・ウェスタン (") (名前の由来はグレート・ウェスタン鉄道)は大西洋航路のために造られたものとしては初の蒸気船である (補助用の帆も備え付けられており、四本マスト)。姉妹船にグレート・イースタンとグレート・ブリテンが存在する。設計は鉄道エンジニアのイザムバード・キングダム・ブルネルであった。彼は、1818年以来帆船で運営されてきた大西洋横断定期船はやがて蒸気船に置き換わると考え、グレート・ウェスタン鉄道の幹部を説得し建造を決行したのである。1837年7月19日、グレート・ウェスタンはブリストルにおいて進水した。巨大なボイラーはグレート・ウェスタンの船体の約半分を占めたが、それでも乗客数148名、船客サロンは奥行き75フィート最大幅34フィートあった。総トン数は2,340トン(ブリタニカ百科事典15版によれば1,320トン)、全長65メートル(212フィート)で、当時最大の蒸気船であった。大西洋を横断する処女航海では、24名の1等船室乗客を乗せた。運賃は35ギニーで、これは当時の労働階級の年収を上回る。この処女航海には、イギリスからアメリカ・ニューヨークという航路における、客船シリウスとの競走という側面もあった。シリウスはグレート・ウェスタンの出航4日前にアイルランドのコークを出航していた。グレート・ウェスタンは1838年4月8日、イングランドのブリストルを出航した。イギリス・アメリカ汽船会社は、大西洋航路の定期船化を計画していた。当初この定期船には、建造中の客船ブリティッシュ・クイーンを充てる予定だったが、先に完成するグレート・ウェスタンが同航路を走ることが明らかとなり、ロンドンとコークを結ぶアイリッシュ海定期船だったシリウスをチャーターしてサービス開始時期を早めることとした。同年4月22日、シリウスはグレート・ウェスタンに先んじて、40名の乗客を乗せて、ニューヨークに到着した。しかしシリウスはグレート・ウェスタンに抜かれないために、軽量化による速度向上を実現するため、重い家具や予備の帆桁を処分していた。(これのパロディとして、小説「八十日間世界一周」に似たような場面がある。) グレート・ウェスタンは翌日に到着したが、それでも航海は15日しかかかっておらず、到着した際もまだ200トンの石炭を残していた。さらには最高速力8,66ノットを記録しており、シリウスの8,03ノットを抜いてブルーリボン賞を受賞した。グレート・ウェスタンは大西洋横断の定期船として1846年まで運航され、クリミア戦争では兵員輸送船として徴用された。戦後1856年にロンドンで解体された。
出典:wikipedia
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