伏見 朝子(ふしみ ときこ、1902年(明治35年)6月20日 - 1971年(昭和46年)4月3日)は、公爵・一条実輝の三女で、伏見宮博恭王第一王子・博義王の妃。香淳皇后とは女子学習院の同級生で、昭和天皇のお妃候補の一人であったとされる。後に学習院の同窓会組織「常磐会」の会長も務める。1919年(大正8年)に、伏見宮博義王と結婚。1男3女をもうける。1938年(昭和13年)に夫の博義王と死別。太平洋戦争後の1947年(昭和22年)10月14日に皇籍離脱。1971年(昭和46年)4月3日、68歳で死去。
出典:wikipedia
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