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清元梅吉 (4代目)

四世清元 梅吉(よんせい きよもと うめきち、1932年(昭和7年)8月7日 - )は、清元節三味線方・作曲家。清元流二代家元。前名は清元清之介、清元梅太郎。松原奏風の名で自身が起こした新邦楽『奏風楽』の演奏・作曲も行い、東明節では東明吟清、荻江節では荻江友次郎の名も持つ。重要無形文化財保持者(人間国宝)。祖父は二世清元寿兵衛(三世梅吉)、祖母は初世清元紫葉。父は三世梅吉の高弟である初世清元梅寿太夫、母は二世清元寿兵衛の養女静江(清元梅吉枝)、妹は清元梅千寿、叔父は初世清元登志寿太夫、従兄弟は二世清元梅寿太夫、二世清元紫葉。曽祖母は四世清元延寿太夫の娘はるで、本来清元宗家の純粋な血縁であったが、二世寿兵衛には実子が無かったためその血筋はここで絶え、現梅吉と血縁上の繋がりは無い。本名松原清之介。幼少期より祖父二世寿兵衛に厳しい教えを受け、早くから天才少年の名をほしいままにした。10代から歌舞伎興行に出演してその技術を磨き、その重厚且つ華麗な撥さばき、解釈に優れた演奏で、かつての清元節三味線の名人清元榮寿郎をして他派でありながら「あの子は将来大物になるよ」と言わしめ、清元にはうるさかった舞踊家二世西川鯉三郎には「梅吉さんは憎らしいほど上手い」と大絶賛された。54歳の頃、三味線方の職業病ともいえる腱鞘炎になりかけ、医師の「演奏の機会を間引くように」とのアドバイスに従ったため悪化は免れたが、その時期より演奏の機会は著しく減少した。歌舞伎興行には流儀として1977年(昭和52年)頃を最後に出演しておらず、現在は舞踊会や素浄瑠璃の演奏会を主な演奏活動の場とし古典はもちろん、自身の作品、祖父の作品を演奏しその継承に努めている。また、演奏のみならず祖父譲りの才能で作曲に優れ、清元はもとより自身が創始した奏風楽、小唄、新邦楽など作曲数は舞踊曲が約80曲、小唄が150曲など多数に及び、舞踊台本の解釈が早く、しかも的確であるため舞踊作家、舞踊家、振付師の信頼も厚く、現在でも作曲の依頼が絶えない。かつては20代で東明節の三味線方としても活躍し絶大なる評価も得たが、師である東明柳舟の没後は「意に叶う歌い手に出会わないから」という理由で演奏活動を休止するなどこだわりの人でもある。指導者として後進の育成にも活躍し、花柳界では東京赤坂、京都上七軒、京都女紅場学園などで舞妓・芸妓の指導にあたり、また一般愛好者の指導、プロの演奏家の養成も行っている。邦楽と舞踊 邦楽社 2008年 

出典:wikipedia

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