稲川 淳二(いながわ じゅんじ、1947年8月21日 - )は日本のタレント、工業デザイナー(一級建築士)。本名:稲川 良彦(いながわ よしひこ)。愛称は淳ちゃん。東京都渋谷区恵比寿出身。ユニJオフィース所属。ラジオの深夜放送で人気を博し、テレビ番組のリポーターやリアクション芸人として活躍。また、ラジオ放送での怪談が好評を博し、以後「霊感タレント」としても活動している。トレードマークは口ひげ。怪談トークの際の愛称は「座長」。東京都中野区に在住。自身の工房は茨城にある。怪談の語り口は特徴的で、その独特の口調で聞く人に恐怖を味わわせている。タレントとしてだけではなく、テレビ番組などにデザイナーとしても出演することもある。俳優の安岡力也とは幼馴染だった。稲川の人柄の良さは業界内では有名で、「稲川の悪い話は聞かない」と言われるほどである。すこぶる温厚、ユーモアのある人柄でありつつ、壮大なサービス精神を持ち前にしており(生来のサービス精神と場持ちのよさから、学生時代から「コンパ屋」の異名をとっていた)、他人のためなら自分を傷つけていいと思っており(リアクション芸において垣間見ることが出来る)、絶大なるお人好しだという。ファンに対するサービス精神も旺盛で、頼まれもしないのにファンに怪談をエンドレスで聞かせ、マネージャーに止められることもしばしば。かなりの確率でファンレターに返事をすることでも有名。インターネット上では、ライブの際に控え室で記念撮影をしてもらったことなどが記されたブログもある。2003年以降、稲川自身が心霊スポットに向かい、独自の“稲川節”と呼ばれる心霊に関する発想・発言や建築への造詣、突然倒れたり吐き出したりする映像が収録された“恐怖の現場”シリーズがネット上で人気を博している。かつてはおしどり夫婦として妻(青森県弘前市出身)と共にテレビCMにも出演していたが、1990年の正月に妻が家からいなくなり、現在も別居中ではあるが淳二の事務所社長として働いており本人いわく「給料を振り込む、込まれるだけの間柄。」(『おはよう朝日です』水曜日にレギュラー出演していた時によくネタにされていた)。息子が2人いるが、次男は先天性の頭蓋骨形成異常を引き起こすクルーゾン氏症候群(Crouzon syndrome)という重度の身体障害を持っており、バリアフリーに関する講演も多く行っている。また、政府が2005年に案を出した「障害者自立支援法案」に反対の意思を表明している。長男の稲川貴洋は俳優として活動中。2006年、ダイドーブレンドコーヒーのCMで、元プロ野球選手の新庄剛志と共演した。『恐怖の現場』というDVDシリーズでは、心霊がいることを証明するために心霊スポットに潜入するドキュメントを制作しており、「科学で心霊を説明しようとする考えが大嫌いだ」と番組内で強く発言したことがある。1985年8月12日、日本航空123便に搭乗予定だったが、当日は体調が優れなかったため翌日の新幹線で大阪へ向かい、難を逃れている。稲川本人はこのエピソードを「運命の分かれ目」「生涯忘れられない出来事」と語っている。夏場の怪談ツアーの活動が知られるが、実際は冬にも怪談イベントを開催するほか、怪談話の取材・収集、工業デザイナーとしての仕事や前述の障害にまつわる講演やボランティア活動にも取り組んでおり、年間通して精力的な活動を行っている。怪談以外の活動にも注力するため、テレビ出演は夏場の怪談関係の仕事に絞っている。上述の通り、障害者自立支援法案に反対の意思を表明していた縁で、同趣旨の主張を行っている平和・民主・革新の日本をめざす全国の会(全国革新懇)並びに日本共産党との関わりは深い。幼少時は広尾に在住しており、地元ではガキ大将的存在で「10人ほどの弟分を従えていた」というが、ある時公園で、同い年で当時麻布在住だった安岡力也と遭遇し叩きのめされたことから力也の弟分となる。力也曰く「当時は『ドラえもん』のジャイアンとのび太のような関係だった」とのこと。ちなみに力也とは中学校進学後一時疎遠となるが、芸能界入り後にある現場で再会して交友が復活し、以後力也の死まで関係が続いていた。1976年4月より、ニッポン放送の深夜ラジオ番組『オールナイトニッポン』二部カッコマン(伊藤政則)の跡を継いでパーソナリティーとなる。舞台俳優として活動していたが、1980年代中期に貧乏・不健康というキャラクターでバラエティ番組にも登場。一世を風靡したフジテレビ『オレたちひょうきん族』内の一コーナー『ひょうきんベストテン』にて、"歌手役で登場 → 「悲惨だなー」と嘆き、散々な扱いを受ける → カメラに向っての決め台詞「いかがでしたか? 喜んでいただけましたか?」"という一連の流れを披露していた。日本テレビ『スーパージョッキー』では初期のレギュラーであった。同番組では、Jockey-1のコーナーで、マイナーな商品やあまり意味の無い商品をビートたけしのツッコミを受けながら、視聴者がなんとか欲しがるように説明や実演を行っていた。また、番組名物の「熱湯風呂」に入る際は、たけしがきちんとピンマイクを外す冷静さを指摘し、その後のダチョウ倶楽部のネタ「聞いてないよ」の伏線となっている。その後も、日本テレビの『ルックルックこんにちは』やTBSテレビの『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』などのバラエティ番組に出演、体を張ったリポートと大きなリアクションで人気を得ることとなる。リアクション芸人としての地位は、後にダチョウ倶楽部や出川哲朗が引き継いでいくこととなる。極度の音痴も芸風のひとつで一昔前のものまね番組では沢田研二の勝手にしやがれを調子ぱずれな音程で熱唱するのが恒例だった。1987年に朝日放送のテレビドラマ『ザ・ハングマン6』および『ハングマンGOGO!』で、悪人に対する仕置きの見本となる「モルモット小父さん」役を演じた。1992年のNHK大河ドラマ『信長』では、サイドストーリー的な準レギュラーとして、宣教師に出会い洗礼を受ける琵琶法師・慈海(ロレンソ)役を演じて俳優出身のシリアスな一面を見せ、さらにその時にはトレードマークであった口ひげを剃り周囲を驚かせた。独特の口調で語る怪談の語り手としても知られており、1987年には怪談を収録したカセットテープを発売。オリコンチャートで上位にランクインするなどして、その後もCDやビデオ、あるいは書籍として数多くリリースしている。また、1993年頃から『ミステリーナイトツアー』という怪談によるライブを毎年夏から年末にかけて行い、全国を廻っている(2001年には、正月にも開催された)。夏場は怪談のトークライブを全国各地で行っていることから、関西テレビの『ナンボDEなんぼ』の"夏に忙しい芸能人番付"で、東の横綱に選ばれた(ちなみに西の横綱は盆踊りで関西各地を廻る河内家菊水丸)。稲川淳二自身が口にしたくない程に恐い(話の中では死傷者が多数出ている)『生き人形』という話がある。大抵、この話をすると呪いがかかると噂されている。自身の著書でも、自分のお気に入り恐い話のランキング1位に持ってくるほどである。スティーヴン・キングの大ファンである。自身が選ぶ最も怖い映画ベスト3として、1位:『ハイド・アンド・シーク 暗闇のかくれんぼ』 2位:『ミザリー』 3位:『キャリー』 を挙げている。工業デザイナーとしての活動も継続しており、「車どめ」のデザインで平成8年度通商産業省選定グッドデザイン賞(公共空間用設備機器部門)を受賞している。
出典:wikipedia
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