サウル(Saul)は、旧約聖書『サムエル記』に登場する、紀元前10世紀頃のイスラエル王国の最初の王。サムエルが士師としてイスラエルを指導していたころ、民の中から王を求める声が強くなった。サムエルは王政のデメリットを説明するが、民が聞き入れなかったので神の指示によって王になるべき男を捜す。サウルはベニヤミン族の出身で、父はキシュ、背が高く美しい若者であった。ロバを探しに出てサムエルに会い、サムエルは彼が神が選んだ人であることを悟って油を注ぐ。サウルの選びに関してはこれ以外にも「背が誰よりも高かったため選ばれた」ことや、「アンモン人の来襲時、霊が下って先頭にたって出陣したことから選ばれた」など異なる由来を持つ複数の伝承が並行して記述されている。サウルは息子ヨナタンや家臣たちと共にイスラエルを率いて、ペリシテ人や周辺民族と勇敢に戦った。しかしアマレク人との戦いで「アマレク人とその属するものを一切滅ぼせ」という神の命令に従わなかったため、神の心は彼から離れた。神の声を伝えていたサムエルもこれ以降サウルに会うことはなかった。サムエルはサウルをあきらめ、神の言葉によってひそかにエッサイの子ダビデに油を注いだ。ダビデはペリシテの勇者ゴリアテを討って有名になり、竪琴の名手としてサウルに仕えたが、サウルはダビデの人気をねたんで命を狙った。ダビデは逃れ、何度もサウルを殺害するチャンスを得たが、「神の選んだ人に手をかけられない」といってサウルに手を触れなかった。ダビデの立琴によってサウルから悪霊が出て行った、第一サムエル16章の聖書記事は初期の音楽療法とみなされている。サウルはペリシテ軍との戦いの中で、ギルボア山で息子たちと共に追い詰められ、剣の上に身を投げて死んだ。また「重傷だったサウルに頼まれて家臣がとどめをさした」との異なる伝承もある。サウルとヨナタンの遺骨は、次の王となったダビデによって、ベニヤミンの地ツェラの父の墓に葬られた。サウル王の四男のイシュ・ボシェテがただ一人生き残り、将軍アブネルに支持されて、マハナイムでサウル王朝第2代目の王になった。イシュ・ボシェテが暗殺されるとサウル王朝は滅亡して、ダビデ王朝が始まった。サウルの家族については『サムエル記』上14:49-51、サムエル記下21:7-14参照。
出典:wikipedia
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