エースナンバー(ace number)とは、野球やサッカーなどのスポーツにおいて、伝統的にチームのエース(野球ならば投手、サッカーならばストライカーもしくはゲームメーカー)がつけるとされている背番号である。チームの顔、柱となる選手に与えられるものであり、これをつけることは精神的に大きな重みを持つ。このため実績のない者に安易に与えられることは少なく、ふさわしい選手が現れるまでは欠番にされるなどの措置が執られることも多い。日本では習慣的に主力投手は10番台をつけるケースが多いが、18番は特に有名で、通常「エースナンバー」といった場合18を指すことが多い。その他、球団によって17、20、21などをエースナンバーとしているところもある。また近年では、11が右のエース級の番号、47が左のエース番号として重みを増してきている。また、阪神や広島などのように、エースナンバーがはっきりした系譜として存在しない球団もある。かつては阪急や近鉄でも同様な傾向であった。一般にエースナンバーと呼ばれることは少ないが、28・34・47は実力派左投手に多く用いられている。阪神時代の江夏豊が用いたことから左腕のイメージが定着した。歴代では星野伸之、新浦寿夫、岡島秀樹、現役では大隣憲司らなど。金田正一の活躍によって特に左腕の大投手のイメージが付与された。三振の語呂合わせから速球投手の番号ともされる。歴代では川口和久、小松辰雄、山本昌、現役では武藤好貴、吉川光夫らが34を付けている。かつて小山正明が背負ったが、工藤公康(西武→ダイエー→巨人→横浜)の影響で主力左腕投手が使用することが多くなっている。現役では山口鉄也(巨人)、海田智行(オリックス)らが47を背負う。1は守備番号で投手ということもあり、特別な意味合いを持って投手が背負うこともある。過去には鈴木啓示、野田浩司、大嶺祐太が付け、2014年からは松井裕樹が1を付けている。また王貞治や愛甲猛のように、もともと投手として入団した者が、野手に転向後も引き続き使用し大活躍したケースもある。なお、東京ヤクルトスワローズでの1は若松勉以降「ミスター・スワローズ」として、ヤクルト生え抜きで実績を残した選手(2016年の山田哲人まで、全員が野手)が背負う番号となっている。19もエース格の投手が着用することが多く、尾崎行雄や小林繁、川尻哲郎、上原浩治、石川雅規、金子千尋、吉見一起、菅野智之などの例がある。また赤堀元之、増井浩俊、山崎康晃のようにリリーフエースが着用する場合もある。41も1980~1990年代の西武黄金時代にエースとして活躍した渡辺久信がいたり、前述の斎藤雅樹が11番に変更する前に41番を付けて1989年に「11連続完投勝利(日本記録)をマーク」「20勝を挙げて最多勝」「チームの日本一に貢献」と大活躍したことでエースナンバーのイメージを持たれるようになった。現在では若干イメージが薄まったものの、次代のエースを期待して獲得した新人投手などに贈られるケースがある。サッカーでは試合毎に選手に背番号を与え背番号が選手固有のものではない期間が長く続いた。選手毎に固有の番号が割り当てられるようになったのは1993年からである。これ以前は背番号は選手ではなくポジションの象徴であった。基本的に先発選手に対して1番から順番に自軍のゴールに近いポジションから割り振られた。このため一般的には1~11番が権威ある番号とされ、中でも9~11は攻撃的なポジションの番号であるためエースナンバーととられることが多い。中でも10番は攻撃にアクセントをつける選手のポジションとされ、特別の意味をもつ背番号であると考えられている。海外の代表チームにおいてもペレ、ジーコ、マラドーナ、ロベルト・バッジョなど攻撃的で創造的な名手が背負った。9番は相手ゴールに一番近いポジションとされゴールゲッターの番号とされてきた。また1番は通常ゴールキーパーに与えられる。一方でマンチェスター・ユナイテッドにおける7番のように各チームで固有のエースナンバーも存在する。(ジョージ・ベスト、カントナ、ベッカム、クリスティアーノ・ロナウド、マイケル・オーウェンなどが付けている)。他には、オランダ国内においてヨハン・クライフが背負っていた14番、ドイツ国内における、戦時中に戦闘機パイロットの編隊長が自ら不吉な13番を付け空に向かうことから由来した13番(ゲルト・ミュラー、ミヒャエル・バラックなど)が固有のものである。サッカー日本代表では、7番(井原正巳、前園真聖、中田英寿、遠藤保仁)、10番(木村和司、ラモス瑠偉、岩本輝雄、名波浩、中山雅史、中村俊輔、香川真司)、11番(三浦知良、小野伸二、鈴木隆行、巻誠一郎、玉田圭司、柿谷曜一朗)など。セレッソ大阪の8番(森島寛晃、香川真司など)が上記の例に当てはまらないエースナンバーとなっている。日本では3秒ルールのために4番が一番若い番号であるのでエースナンバーである。アメリカでは通算得点:38,387(歴代1位)のカリーム・アブドゥル=ジャバーが33だったのでバスケットをする子供はみんな33番をつけたがったが先輩などが既につけているために近い番号の32・34も人気があったほど。マイケル・ジョーダンの番号である23(レブロン・ジェームスはジョーダンに憧れ23をつける)、マジック・ジョンソンの番号である32、ラリー・バードの番号である33、などがエースナンバーといわれる。34はアキーム・オラジュワン、チャールズ・バークレーなどが有名。F1においては、前年度のチャンピオンドライバーがカーナンバー1を付けることができる。からチームごとにカーナンバーが固定され、前年度のチャンピオンドライバーがカーナンバー1を付けることを規定した。から前年度のコンストラクターズランキング順に変更されたが、前年度のチャンピオンドライバーが所属するチームには1と2が与えられた。一般的に、チーム内ではエース格のドライバーが若い番号を付ける場合が多かった。からドライバーごとの固定ナンバー制となり、前年度のチャンピオンドライバーが1を付ける義務はなくなった。カーナンバー44を使用するルイス・ハミルトンは2014-2015年にチャンピオンとなったが、1を選択せず44のまま翌年のシーズンに参戦した。ル・マンやSUPER GTなどの希望車番の申請制度を取っているレースでは、チームに縁のある番号を取得し、複数台エントリーする場合はその番号がエースとなる。例えば、ル・マンにおいてベントレーは、2003年に8番を取得、2004年には7番と8番を取得して8番に全員イギリス人ドライバーを据えた。(ベントレーにおいて8は特別な数字であり、スピード8という車の名前でもある。)同様に、アストンマーティンもDBR9より9番とその周辺を取得したり、アウディも1番を取得する前はR8から8番を中心に取得していたりした。SUPER GTでは日産のエースナンバーとして23番(ニッサン → 23)などがある。トヨタ勢(レクサス勢)は30番台につける習慣がある(現役車両では5台出走しており、その中で35号車(クラフト、過去にはトムスが着用)、36号車(トムス)、38号車(セルモ)、39号車(サード)の4台あり、過去では32号車(かつてセルモ2号車が着用で現在はホンダの中嶋レーシングが着用)、33号車(セルモ2号車)、34号車(クラフト)、37号車(トムス2号車)があった)。なお、SUPER GTでは1番がGT500クラス・0番がGT300クラスのチャンピオンナンバーとなっており、各クラスの前年度のチャンピオンチームのみが選択希望できる。希望しなかった場合は欠番となり、他チームは選択できない規則になっている。サイクルロードレースにおいてチーム単位、なおかつ各チーム同じ人数でのエントリーが行われる場合、チーム別に(百と)十の位が同じゼッケンが割り当てられる。その際、それぞれのチームでエースに指名された選手に基本的に一の位が「1」のゼッケンが与えられる。それ以外の選手にはチームによって準エース格の選手に若い番号を与える所もあるが、機械的に名前(ファミリーネーム)のアルファベット順(日本では五十音順の場合もある)に「2」から後の番号を割り振るチームも多い。
出典:wikipedia
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