千両蜜柑(せんりょうみかん)は、古典落語の演目。原話は、明和9年(1772年)に出版された笑話本「鹿の子餅」の一遍である『蜜柑』。松富久亭松竹の作とも伝わっている。元々は上方落語の演目の一つで戦後に東京へ移植された。主な演者として、上方の3代目桂米朝や6代目笑福亭松鶴、東京の5代目古今亭志ん生や林家彦六などがいる。この噺の最大の特徴は、東京と上方でかなり演出に差があるところにあるだろう。ある呉服屋の若だんなが急に患いつき、『明日をも知れぬ重病』になった。
医者が言うには、「これは気の病で、何か心に思っていることがかないさえすれば、きっと全快する」のだとか。
しかし、いくら父親がたずねてみても、若旦那は首を横に振るばかりで答えようとしない。数日後…。若旦那は、とうとう飯も喉に通らないほど衰弱してしまう。
みかねた父親は番頭の佐兵衛を呼び出し、「何が何でも若旦那の悩みを聞きだせ!」と厳命。「きっと、好きな女の子でもできたに違いありません」なかなか口を割らない若旦那を、「必ずどうにかするから」とようやく白状させてみると…。「実は、……ミカンが食べたい」あっけに取られた番頭。「座敷中ミカンで埋めてあげます」と請け合って、大旦那にご報告。「まずい事をいったものだな」
「どうしてです?」
「どこにミカンがあるんですか?」その通り。冬場の出盛りならいざ知れず、今は真夏、土用の八月。はっと気づいたがもう遅い。「もしミカンがないと言えば、せがれは気落ちして死んでしまう。そうなったら、お前は『主殺し』で磔だ。それが嫌なら…」主に脅され、番頭は大慌てで外に飛び出していった。あちこち探してみたものの、やはりミカンは見つからない。磔柱が目の前にチラチラ…。「ミカン、ありますか!?」
「あるわけないでしょ、ここは金物屋ですよ?」なんて事になるぐらい、番頭はパニックになっていた。「え? 若旦那が重病で、みかんが見つからなかったら磔?」昔見た引き回しや、磔の場面を聞かされて、番頭はその場に卒倒してしまう。
同情した主人は、番頭を介抱して「神田多町の問屋街…万屋惣兵衛の所に行けばあるのでは」と教えてあげた。ワラにもすがる思いで問い合わせると、幸運なことにミカンはあった!「ちょっとお待ちください」蔵の扉を開け、山積みになった木箱を引きずり出すと、次々と開けていく。「ありました!」
「え、ある? ね、値段は?」
「千両」こっちも遊びで店を出しているわけではない。どうしても食べたいと言うお方のために、腐るのを承知で上物ばかりを選んで貯蔵しているのだ…と言うのが向こうの弁。主に報告すると、「安い。せがれの命が千両で買えれば安いもんだ」。番頭は目を白黒、千両出して蜜柑を買う。「あー、もったいない。皮だって五両ぐらい。スジも二両、一袋百両…」上手そうにミカンを食べる若旦那を横目に見ながら、番頭は事の成り行きに呆れてしまう。
喜んで食べた若だんなは、三袋残して、これを両親とお祖母さんにと番頭に手渡した。「一ふさ百両。三つ合わせて三百両…。このままずっと奉公していたって、そんなお金は手に入らない。旦那様には悪いが…」この番頭、ミカンを三ふさを持って失踪した。番頭、探し疲れて八百屋と間違えて鳥屋に飛び込んでしまう。昔見た引き回しや、磔の場面を聞かされて、番頭はその場に卒倒してしまう。
同情した主人は、番頭を介抱して「天満の青物市場に行けばあるのでは」と教えてあげた。ワラにもすがる思いで問い合わせると、幸運な事に「ああ、ミカンでっか。おます。」との返事。「へっ!あるんでっか。売ってもらえまへんやろか。」「よろしおま。」と問屋は番頭を蔵へ連れて行く。蔵の扉を開け、山積みになった木箱を引きずり出すと、次々と開けていく。だが、箱の中のミカンはことごとく腐っている。番頭は再び絶望のどん底へ。気の毒に思った問屋は「蔵中の木箱あけまっさかい、待っておくんなはれ。」と番頭を落ち着かせる。ついに最後の一箱になる。「おました!底にたった一つ残ったある。」見れば一つも傷んでいない。問屋が同情してタダでくれると言うのを、番頭が大店の見栄で「金に糸目はつけない」と見得を切る。
そのあまりのしつこさに、問屋もつい意地になって一つ千両とふっかけ、「毎年腐るの承知で蜜柑を囲います。みな腐ってもたら今年も暖簾に入れたとあきらめますが、一つでも残って買い手付いたら、千箱あった蜜柑の全部の値掛けさせてもらいま。商人冥利ビタ一文も損させまへん。」とキッパリ言われる。びっくりした番頭、店に飛んで帰る。「ああ、番頭どん。さいぜんは無理言うてすまなんだ。つい親心がでてしもて堪忍しとくなされ。」
「旦那さん、それどころやおまへんで。蜜柑ありました。」
「何じゃと!」
「天満の青物市場にあるんやけど、値が千両。何と馬鹿にしてるやおまへんか。」一部始終を語ると、この父親も商人だ。「ウム。青物問屋、そう言うたかい。せがれの命、千両なんて安いもんじゃ。これ!千両箱もっといで!番頭どん、御苦労じゃがその千両箱持って買ってきとくんなされ。」と言われ、番頭、目を白黒。千両出して蜜柑を買う。若旦那は十袋ある蜜柑をうまそうに食べ、「さ、三袋残ったさかい。これはお父はんとお母はん、そして番頭、お前三人で分けて食べ。」と渡す。番頭、三袋の蜜柑を手に考えた。「金持ちっちゅうんは勝手なものや。こげなミカン一つに千両か。俺も来年暖簾分け、あの渋ちんがくれるのは、どう見積もっても五十両。…この蜜柑一袋百両、三つあるから三百両…ええいっ!あとは野となれ山となれ!」蜜柑三袋持って逐電した。東京の方はわりとさらりと演じて、黄表紙などに出てきそうな粋な面があるが、上方のは商人の心意気が強調され、リアルな表現である。いずれにしても、特殊な事情で莫大な値が付いてしまったミカンをどこでも通じる資産と錯覚し、自分の未来を捨てて失踪してしまう番頭に笑いと一抹の悲哀を感じる作品。なお、上方版に登場する天満青物市場は1931年(昭和6年)まで現存した。天満は青物問屋が立ち並び、「ねんねころいち、天満の市よ。大根そろえて船に積む。船に積んだらどこいきゃる。」という子守り歌にも歌われた。特に「市の側」と呼ばれた一角(現大阪市北区菅原町)はその中心部で、戦時中、中国大陸から「日本・天満・市の側」の宛名だけで手紙が届くほどであったという。一方、東京版で登場する神田多町の果物問屋・万屋惣兵衛は1846年(弘化3年)に創業した実在の果物問屋「万惣」をモデルとしている。 2012年までは万惣商事として、高級果物の販売やフルーツパーラーの経営を行っていた。また、かつての神田多町には幕府公認の青果市場が存在し、駒込・千住と並ぶ江戸三大青果市場の一つとして大いに賑わいを見せ、近辺には上記の万惣をはじめ様々な果物問屋が軒を連ねた。「神田青果市場発祥之地」(千代田区神田須田町1丁目10番所在)の碑文によるととあり、その規模の大きさをうかがうことができる。落語「たちきり」の枕では、本作と同様に値打ちの誤解から起こる笑いをテーマにした小噺が演じられる。
出典:wikipedia
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