鈴木 大輔(すずき だいすけ、1990年1月29日 - )は、日本・石川県金沢市出身のプロサッカー選手。セグンダ・ディビシオンのジムナスティック・タラゴナ所属。元日本代表。ポジションはディフェンダー(CB)。1歳年上の兄の影響で、小学1年生からサッカーを始めた。小学2年生の頃に石川県金沢市へ移り住み、地元のクラブ『仲良しスポーツ少年団』に入団。当時のポジションはフォワードで、チームのエースストライカーを務めていた。中学校進学後はテイヘンズFCの下部組織に所属し、監督の勧めでディフェンダーへ転向。2005年、U-15日本代表に選出された。星稜高等学校進学後も各年代別日本代表に選出され、2007年、アルビレックス新潟の特別指定選手に登録された。同年、U-17日本代表の一員としてFIFA U-17ワールドカップに出場(グループリーグ敗退)。星稜高校では主将を務め、平成19年度全国高等学校総合体育大会で準優勝を果たしたが、第86回全国高等学校サッカー選手権大会では初戦敗退に終わった。2008年、アルビレックス新潟に入団し、翌年、第89回天皇杯2回戦奈良クラブ戦で公式戦初出場。2010年、J1第9節ヴィッセル神戸戦でリーグ戦初出場。ナビスコカップグループリーグ第4節京都サンガF.C.戦で公式戦初得点を記録した。同年、各クラブの控えメンバーを中心としたU-21日本代表に選出され、広州アジア競技大会に出場。全7試合に出場し、史上初の金メダル獲得に貢献した。同大会後も関塚隆監督に重用され、ロンドン五輪アジア予選を戦った。2011年、J1第1節アビスパ福岡戦での途中出場をきっかけにチャンスを掴み、徐々にレギュラーに定着。J1第13節浦和レッズ戦でリーグ戦初得点を記録した。2012年、ロンドン五輪日本代表に選出され、オーバーエイジ枠で出場した吉田麻也と共にセンターバックを組み、過密日程の中全6試合に先発フル出場。メダルは逃したものの、44年ぶりのベスト4進出に大きく貢献した。クラブでは最終節まで残留争いに巻き込まれたが、リーグ2位タイとなるシーズン通算34失点の堅守を支えた。2013年1月5日、柏レイソルへの完全移籍が発表された。J1第17節清水エスパルス戦で移籍後初得点を記録したが、これはJ1リーグ戦の通算17000ゴール目となるメモリアルゴールであった。7月25日、東アジアカップ2013オーストラリア戦で国際Aマッチ初出場。2014年10月5日、怪我により辞退した昌子源に代わり、約1年ぶりに日本代表に追加招集された。2016年1月15日、柏レイソルを退団することが発表された。柏レイソルを退団した後はスペイン・リーガ・エスパニョーラのラージョ・バジェカーノへの移籍に向けて交渉していたがまとまらず冬の移籍市場では新天地が決まっていなかったが、2016年2月16日、スペイン・セグンダ・ディビシオンのジムナスティック・タラゴナへの加入が発表された。契約期間は2015-16シーズン終了までで、2年の契約延長というオプションが付けられている。リーグ戦では3位に入り昇格プレーオフに進出し、準決勝では6位のCAオサスナと対戦した。ホームで行われた第1戦は1-3と落とし、アウェーで行われた第2戦も2-3で敗れてプリメーラ・ディビシオンへの昇格はならなかった。146||8||20||1||10||1||176||1015||0|| || || || || ||161||8|| || || || || ||その他の公式戦|2013||rowspan="2"|柏||rowspan="2"|4||9||0!通算!!colspan="2"|AFCその他の国際公式戦|-!通算
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