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小笠原道大

小笠原 道大(おがさわら みちひろ、1973年10月25日 - )は、日本の元プロ野球選手(内野手、捕手)である。愛称は「ガッツ」。2016年シーズンより中日の二軍監督を務める。7歳から野球を始め、千葉西リトルリーグでプレーする。1989年に暁星国際高等学校に進学したが、入学時は全く無名の選手で、当時の監督曰く「千葉西リトルの(中学)2年生で欲しい選手がいて、その選手を獲る代わりに頼まれたのが、どこからも声のかからない小笠原だった」という。それまでは遊撃手・三塁手・外野手の複数のポジションをこなしていたが、高校進学と共に二塁手にコンバートされ、翌1990年にはチーム事情から捕手に再転向(ただし本人は「捕手は一番嫌なポジション」だったという)。高校2年時には、北川哲也と共に夏の県大会準優勝を果たしている。なお、今でこそ球界屈指の強打者として知られるが、高校通算本塁打は0本で、県内でも注目された選手ではなかった。卒業後はNTT関東に入社。ポジションは「仮に選手としてダメでもカベ(ブルペン捕手)で残れるから」という理由で捕手を続け、後に日本ハムでも同僚となる立石尚行とバッテリーを組んで活躍した。1996年には第67回都市対抗野球で立石と共に新日鐵君津の補強選手となり、松中信彦とクリーンアップを組み、チームのベスト8入りに貢献。1996年ドラフト会議で日本ハムファイターズから3位指名を受ける。入団会見では「首位打者を取れるような打者になりたい」と宣言した。2000年から2010年まで、2005年を除き例年打率3割以上を記録したアベレージヒッターでありながら、コンスタントに30本塁打以上を記録する長打力も持ち合わせる。統一球が導入されていた2011年からの数年の間は成績が落ち込んだが、通算RCWIN、RC27傑出度(4000打席以上)では歴代10位を記録している強打者である。打席においては日本ハム時代の打撃コーチの加藤英司から影響を受けた大きな構え(神主打法)からフルスイングする。試合前などの打撃練習では左方向への打撃を繰り返すなどボールを手元に呼び込むことを意識するため決して大味なスイングにならず、広角に長打を放つ技術も持つ。ただ、神主打法においては日本ハム時代に同僚だった落合博満の影響は少ないという。例年.070以上のIsoD(出塁率-打率)を記録するなど選球眼にも優れている。巨人移籍以降2010年までの対右打率.320と右投手に強い他、同じく得点圏打率.334とチャンスにも強く、苦手なコースも少なかった。日本ハム時代は監督の上田利治の方針もあり、2番で起用された時期も含めて2008年6月8日の西武戦まで公式戦で犠牲バント成功が一度もなく、1997年から1999年の間で7度の指示があったが失敗している。2006年のWBCでは送りバントを試み、成功させた。捕手、内野手の両方をこなせることから「コンビニルーキー」など称されていた。落合の引退後、捕手から一塁手に転向している。三塁守備では三塁線のベース際の打球などにもうまく対処し、ゴールデングラブ賞を1度受賞しているが、2010年はUZR-2と平均を下回り、2011年は前述の事情、2012年以降は正三塁手の村田修一の加入、中日移籍以降はエクトル・ルナや高橋周平らの存在もあり、主に一塁手として出場している。その一塁守備では、グラブ捌きが巧みで、ゴールデングラブ賞を1999年から2002年までの4年連続を含めて5度受賞している。走塁面では一塁到達4.2秒台前半を記録するなど平均以上の脚力を備え、2000年にはキャリア唯一の二桁盗塁となる24盗塁も記録しているが、2002年の故障後は盗塁数が減少し、近年は年齢的なスピードの衰えもあり一塁到達4秒台後半が多くなっている。愛称は「ガッツ」。日本ハム時代につけられた愛称である。名づけ親は当時チームメイトだった岩本勉、上田佳範、片岡篤史、建山義紀、金村暁、金子誠の6人で、合コンの席で飲み食いにしても、女性に対してもがっつくことから「ガッツ君」と呼んだのが始まりだというが、その後小指を骨折した状態でホームランを打ったことで「ガッツがある」としてこの愛称が定着することになる。野球以外では、名字が「小笠原」である縁から東京都小笠原村の観光親善大使に1999年12月25日に就任し、島の少年野球チームにユニフォームをプレゼントしたり、同村の交流事業に参加したりするなどの活動を行っている。また本人も2000年末、父島など小笠原諸島を訪問している。大の焼肉好きであることで有名。自宅での夕食には必ず焼肉が入り、その際は「牛・豚・鳥の3種類を食べる」ことを習慣にしている。東京都小笠原村の観光親善大使であることから、日本ハムファイターズ時代には小笠原の本塁打時に小笠原村のザトウクジラの映像がバックスクリーンに表示されていた。この事から、一部のファイターズファンは小笠原が打席に入ると小笠原村のシンボルであるイルカの風船(または、浮き具)を持って応援していた。応援歌のイントロ部分に入るコールも小笠原村に因んだものであり、チームの札幌移転時に削除・変更が検討されたが、小笠原が観光親善大使であることから引き続き使用されていた。巨人・中日移籍後も、一部のファンが同様の応援をしている。巨人ファンから「小笠原が来てから2003年から06年まで続いていた低迷期から脱することができた」「小笠原は救世主だ」という声が多く、事実それは選手も認めるところであり、2013年のシーズン中、日刊スポーツ紙上で行われた、当時巨人生え抜き最年長で元キャプテンの高橋由伸と、同じく生え抜きで当時のキャプテンである阿部慎之助の対談では、二人がルーキーの時は試合に負けたら誰もしゃべらず、クライマックスシリーズなどの一発勝負に負けたような空気だったが、それを一変させたのが小笠原、谷佳知、古城茂幸らの「また明日や!」という空気を持ったパ・リーグの選手であり、以来負けても「明日打てばいい」という気構えで全員が臨むようになったことが、2003年から4年間続いた低迷期から巨人が脱出できた理由であると述べている。

出典:wikipedia

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