李 起鵬(イ・ギブン、、1896年12月20日 - 1960年4月28日)は、大韓民国の政治家。本貫は全州李氏。号は「晩松」(マンソン、)。漢城出身。延喜専門学校(現延世大学校)を中退して、アメリカアイオワ州のデイボ大学を卒業。1934年に帰国して、1945年に李承晩の秘書として政界入りし、1948年には大統領秘書室長、1949年にはソウル市長に就任した。1951年の国民防衛軍事件で申性模国防部長官が解任されると、国防部長官になった。同じ年自由党を創党して、1954年には四捨五入改憲を主導する程権力を握る様になり、この頃から彼の邸宅は「西大門景武台」とまで揶揄される様になった。1960年に、不正選挙を通じて副大統領に当選したが、四月革命で失脚し、景武台(現青瓦台)に身を避けたが、長男の李康石(陸軍将校で、李承晩の養子だった)の手によって、朴瑪利亜夫人や次男(李康旭)とともに射殺された(長男も自決した)。李起鵬一家の邸宅は、一家無理心中後に政府に還収され、跡地に「4·19革命記念図書館」が建設された。
出典:wikipedia
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