小佐野 景浩(おさの かげひろ 1961年9月5日 - )は、プロレスライター、もしくはプロレス評論家。プロレス雑誌、週刊ゴングの元編集長。ゴング時代は、ゴングが全日本がスタン・ハンセン引き抜きをスクープし、ハンセンとブルーザー・ブロディの2ショット写真を別冊ゴング1982年1月号に掲載したところ、「外人レスラー引き抜きに暗躍する一部マスコミ」という記事を掲載した『月刊プロレス』1982年2月号を見た坂口征二が激怒して小佐野を呼び出し、小佐野を怒鳴りつけたことがある(実際の2ショット写真はニューオーリンズで撮影しており、坂口は名古屋で撮影していたものと勘違いしていた。その後小佐野が証拠となるポジフィルムを見せると約束し、竹内宏介が坂口にポジフィルムを見せている)。その後は天龍源一郎の番記者として天龍に関する数々の記事を手がけた。1990年4月、天龍が全日本を退団するという話しを誰よりも早く知っては小佐野である。小佐野はその後のSWSなどの動きを把握しないまま記事を書き、4月25日発行のゴングの表紙に小佐野が伝え聞いた「ジャンボに負けたら辞めるよ」の文字が掲載された。これを見た当時『週刊プロレス』編集長ターザン山本は、天龍が小佐野を使ってゴングに情報をリークしたものだと決めつけゴングやSWSにバッシングを開始した。小佐野は後年(2008年)週プロのインタビューに応じ天龍の退団のことは結果的にジャイアント馬場と天龍が話し合いをする前日に本が発行されることになり双方に迷惑をかけてしまったと振り返った。1995年、週刊プロレスが東京ドーム興行「夢の架け橋」の開催を決め、ゴングはその裏のWARの後楽園ホール大会を後援するような状態になり、これを期に当時ゴング編集長だった小佐野は対週プロ(対山本)の姿勢を強めた。しかし翌1996年、週プロが新日本プロレスなどから取材拒否を受けその引責で山本が週プロを去ったこと、部数を落とした週プロを追い抜きトコロテン式にプロレス雑誌売り上げトップになったことについては「同じ土俵で勝負したかった」と語り不本意な出来事だったとしている。
出典:wikipedia
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