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志道元保

志道 元保(しじ もとやす、天文5年(1536年) - 天正10年10月23日(1582年11月18日))は、戦国時代、安土桃山時代の武将。安芸の毛利氏の家臣。志道城主。志道広良の孫で、父は志道広長(ひろなが)。父が若年に死去したため、祖父の後継となる。弟に志道良泰(よしやす)。子は志道元規(もとのり)、椙杜隆康の養子となった志道元縁。父が1539年に死去し、その後継として志道氏を相続した。1555年の厳島の戦い直前に、陶方に味方した野間隆実の矢野城の攻略に参加。1557年、志道元保は阿曽沼広秀は福原貞俊らと供に長門国且山城を攻撃し、抵抗を続ける内藤隆世を自害に追い込み、大内義長が籠る長福寺を包囲して、義長を自害させた。1566年の月山富田城の戦いにも参加して戦功を挙げた。その功もあり、元保は本領の志道荘だけではなく、安芸国有富、西条八名、周防国高尾、出雲国多久和を知行し、安芸国中麻原代官を務めた。1585年、椙杜隆康の後継者が不在となったため、子の志道元縁をその養子として椙杜氏を継承させている。子孫は、代々、萩藩寄組として続いた。

出典:wikipedia

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