島 親益(しま ちかます)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。長宗我部氏の家臣。長宗我部国親の四男。別名は親房。父・国親が家臣・島某の妻に手を出して生ませた子供だったため、島姓を名乗った。武勇に優れ、異母兄・長宗我部元親の本山氏攻め等で活躍した。しかし、病にかかり、播磨の有馬温泉に療養に出かける途中、強風のため阿波国海部城下の那佐湾に舟を停泊したところを、敵襲と勘違いした城主・海部友光に襲われ、病の身ながら奮戦するも討たれた。その後、元親は弟の死に激怒し、海部城を攻略する。子孫の親典(1594年生まれなので、親益の子としては年齢が合わない。孫か一族と推定される。)は大坂の役で豊臣方に参戦し敗れたが、土佐藩(山内忠義藩主)での入牢を経て土佐藩士に取り立てられた。しかし下士に甘んじた。その後も島氏は土佐藩に仕え、明治維新後に長宗我部姓に復した。また宗家が途絶えていたため、必然的に長宗我部氏の当主の座を引き継いだ(明治時代に明治天皇から正統子孫と認められた)。
出典:wikipedia
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