


第百一号型輸送艦(だいひゃくいちごうがたゆそうかん、旧字体:第百一號型輸送艦)は、大日本帝国海軍の輸送艦の艦級。砂浜に接岸して船首の渡し板から部隊を上陸させる、戦車揚陸艦の一種にあたるものである。ただし、本来予定していたタービン機関の製造が間に合わなかったことから、初期生産艦の6隻ではディーゼル機関を装備し、要目や艦容がディーゼル装備艦とタービン装備艦とでは異なる。そのため、太平洋戦争後に刊行された書籍ではディーゼル装備艦を第百一号型、本来のタービン装備艦を第百三号型(だいひゃくさんごうがた)として区別することが多い。1943年(昭和18年)度に計画され、当初は特設輸送艦(とくせつゆそうかん)であり、後に艦艇類別等級別表に移されてからは二等輸送艦(にとうゆそうかん)に類別された。どちらも本級のために作られ、本級しか存在しない艦種であったため、単にその艦種名で呼ばれることもあった。一部が陸軍にも機動艇(陸軍輸送艇)として供給され、陸軍においてはSB艇(エスビーてい)と呼称された。第百一号型はSB(D)、第百三号型はSB(T)として区別された。下記の建造経緯により海軍が建造した、現代で言う戦車揚陸艦である。昭和十八年度戦時建造計画(マル戦計画)において当初63隻の建造が計画。1944年(昭和19年)2月1日には特設軍艦に特設輸送艦の類別が追加され、2月5日に第百一号から第百六十三号特設輸送艦として命名、所管鎮守府が仮定された。特設輸送艦(雑用)として類別されており。その後順次竣工し、所管する鎮守府が定められ、戦線に送られた。輸送艦長にはほとんどが予備士官を当てられた。なお特設輸送艦は特務艦(運送艦)、特設運送艦、特設運送船と同じく補給部隊編成表に掲載されていたが、実際の配属は連合艦隊もしくは北東方面艦隊であった。6月1日には24隻が仮定の所管を解かれ、陸軍に配分された。特設輸送艦としては最終的に呉鎮守府に12隻(うち3隻戦没)、佐世保鎮守府に12隻(うち2隻戦没)が所管された。同年9月5日、艦艇類別等級別表の輸送艦の項にある輸送艦一等第一号型の次に二等第百一号型が加えられ、第百一号から第百六十一号輸送艦と改名、戦没により解所管された3隻を除く39隻が艦艇のうち輸送艦として類別された。内訳としては、各鎮守府に所管された20隻が解所管、未成の9隻も仮定所管を解かれ、特設輸送艦29隻は全て輸送艦となった。また陸軍からは竣工済みで実戦配備されていた陸軍輸送艇第千五百六号から第千五百八号および第千五百四十四号の4隻が海軍へ返還され、第百六号から第百八号および第百五十四号輸送艦と改名、同日に竣工した1隻および未成の5隻も含め計10隻が海軍へ返還された。一方で未成の特設輸送艦のうち第百四十五号から第百四十八号、第百六十二号、第百六十三号特設輸送艦の6隻は命名を取りやめ、陸軍輸送艇へ供給された。しかしこの内、1945年(昭和20年)1月25日には第百四十五号から第百四十七号輸送艦の3隻が海軍に返還されている。9月5日以後、特設輸送艦(雑用)として類別される艦は無くなり、海軍に配分されたものは全て第百一号型輸送艦として類別された。その後海軍には7隻、陸軍には5隻が追加で建造されたが、全75隻のうち最終的に6隻が未成のまま終わった。太平洋戦争勃発後、ガダルカナル島の戦いなどで前線への輸送任務の困難を感じた日本海軍は、敵の制空権下を高速で突破できる専用輸送艦の開発に着手した。その中で、戦車などの車両を急速に揚陸させられる輸送艦として開発されたのが、本型こと二等輸送艦である。機能的には戦車揚陸艦の一種であるが、上陸作戦用の揚陸艦というよりは、味方地上部隊への補給物資や増援部隊の高速輸送が本来の任務であった。基本設計のみ艦政本部が行い、詳細設計は呉海軍工廠に一任する異例の方式がとられた。設計にあたっては、ドイツから1943年に提供された、イギリス軍の戦車揚陸艇LCT-Mk.5()の図面も参考にされた。1943年9月に建造が正式決定された。なお、戦車揚陸艦の開発も大発動艇(上陸用舟艇)や神州丸・あきつ丸(強襲揚陸艦、特種船)に代表される様に、上陸作戦用の支援艦艇の開発に早くから理解のあった陸軍が先行しており、これは機動艇(SS艇)として既に開発・実用化されていたものであった(陸軍では1942年(昭和17年)4月には試作第一号艇「蛟竜」を竣工している)。1943年(昭和18年)秋から終戦までの間で、69隻を完成した(他に未成6隻)。計画の途中から陸海軍間での折衝の結果、機動艇(SS艇)との共用化が図られ、陸軍が資材提供を行う代わりに陸軍向けにも供給されることが決定した。これにより、後述のように35隻が陸軍へと移管されているが、うち13隻が海軍へと返還されており、最終的には合計22隻が陸軍で使用された。連合国軍側の揚陸艦艇では中型揚陸艦(LSM)に近い規模であり、LST-1級戦車揚陸艦の半分程度の排水量である。全般的な設計としては、強行輸送という用途に応じる高速性能と強兵装の一方で、戦時下における量産性への配慮がされている。工作を容易にするため、形状に直線と平面が多用された。戦時標準船などに導入されつつあったブロック工法も採用され、艦体は3個のブロックに分けて建造されている。このような工夫により、短期間での多数の竣工実現につながった。外見は、広い前部甲板と艦後部の艦橋や艦尾の錨など、アメリカ海軍の戦車揚陸艦(LST)に類似した姿であるが、艦首の構造はLST-1級のような2枚扉の観音開き式ではなく、LCTや大発などの上陸用舟艇と同じような平面一枚扉であった。揚陸の際には艦首の平面が前方に倒れて渡し板となり、その上を車両が走行できる構造になっている。航行中の前方視界を確保するため、艦首板の上端には開口部が設けられている。本艦は、上陸用舟艇と異なって単独航行能力を持つ設計ではあったが、平底かつ平らな艦首の箱型船型のため、あまり航洋性は高くなかった。波の穏やかな南方の島嶼地帯での運用を想定したためで、波の荒い日本近海などを航行するときには晴天時を選ぶ計画であった。車両の搭載スペースとしては、艦内の格納庫と上甲板の2か所が用意されている。合計で九七式中戦車なら9台、九五式軽戦車なら14台、特二式内火艇なら7台が搭載できた。艦内の格納庫と艦首通路の間には、傾斜した内扉が設置されており、車両発進時には上方に釣り上げて開かれる。この内扉は、上甲板の車両を艦首通路に下ろすためのスロープ兼用となっており、上甲板には内扉に対応したハッチが設けられている。敵の制空権下に突入しての強行輸送を想定したため、武装は充実したものとされている。当初の対空火器は艦尾に8cm高角砲1門、艦橋両舷に25mm3連装機銃が各1基で、マリアナ沖海戦後の1944年9月以降、他の軍艦と同様に機銃増備がなされた。装備状況は艦によって違いがあるが、後掲図の第141号輸送艦の例のように25mm連装機銃が艦橋前に新設された機銃台と艦尾甲板上に各1台装備され、また艦上の空いたスペースに単装機銃が11挺前後装備された。爆雷搭載の計画はなかったが、1944年4月以降に爆雷投下台を6基装備、爆雷12個を搭載した。同じく強行輸送に対応するため、高速を発揮できるタービン機関を主機に採用し、2,500馬力で公試速力17ノットを記録した。後述のディーゼル主機装備の第百一号型と区別するため、タービン主機装備のSB艇の意味でSB(T)と呼ばれる。主缶は当初重油専焼ボイラーを搭載したが、1945年1月以降に起工された艦は石炭専焼ボイラー搭載に変更された。また第147号など数隻が石炭専焼に改造された。これらの艦は煙突を延長、艦橋構造物より高い煙突になっている。直接接岸しての揚陸を目的とした艦であるが、上陸用舟艇である10m特型運貨船(小発)も装載艇として搭載していた。これは、接岸地点掩護のための先遣要員揚陸や、前路警戒の目的で搭載されたものである。海軍では、一等輸送艦とあわせて輸送専門部隊である輸送戦隊を2個編成した。フィリピン方面などでの輸送任務に投入され、その特徴を生かして戦車部隊の輸送も行っている。レイテ島の戦いでは、特二式内火艇を装備した海軍陸戦隊による逆上陸戦にも使用された。当初の計画では運用が想定されなかった波の荒い日本近海でも、補強工事を施された上で使用され、硫黄島への輸送を行うなどしている。危険な任務に多用されたため、後掲の艦歴一覧に示す通り多数が戦没した。陸軍へは22隻が引き渡され、船舶兵が運用する機動艇(SB艇 / SB(T)艇)として使用された。各1隻を装備した機動輸送中隊が運用部隊として編成された。SB艇は船舶兵にとっては不慣れなタービン機関を主機としていたため(陸軍開発のSS艇はディーゼル機関)、運用は難航したと言われる。終戦時に航行可能な艦は特別輸送艦(復員輸送艦)となり復員輸送に従事した後、賠償艦として引き渡されるか、解体された。戦後、特別輸送艦の指定を受けた艦は「輸第何号」と改称のうえ復員輸送に従事した。第百三号型の主機を、タービン機関からディーゼル機関に変更した略同型である。二等輸送艦の初期生産分6隻について、本来のタービン機関の生産が間に合わなかったため、第一号型駆潜特務艇用などに生産されたディーゼル機関を装備した。400馬力と低出力の機関であったため主機を3機装備し、スクリュー3基の3軸推進艦となった。ディーゼル主機装備のSB艇の意味で、SB(D)と称した。機関変更した略同型という意味では、海防艦の丙型(ディーゼル主機)と丁型(タービン主機)の関係と類似している。基本設計は第百三号型と同じであるが、機関出力低下により最高速力が2.6ノット低下しているほか、両舷にスクリューがあるために離岸時の操艦が困難であったといわれる。ただし、燃費は大きく向上している。また、缶室が不要になったので、その分だけ物資搭載能力は第百三号型の220トンから250トンに増加した。
出典:wikipedia
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