クレ環礁(クレかんしょう、Kure Atoll、; )はOcean Islandとも呼ばれる環礁で、北西ハワイ諸島のミッドウェー島から離れた場所に位置する。特に目につく大きさの島は1つあるだけで、Green島と呼ばれている。自然が多く残され、様々な海鳥の生息地となっている。モンクアザラシやアホウドリの繁殖地があるほかイカナゴの群れなども見られる。短い滑走路と建物の一部が使われなくなり放置された状態で存在しているが、いずれもかつてアメリカ沿岸警備隊のLORAN局として使用されていたものである。研究員以外は住民がおらず半無人島となっている。独立したの一つミッドウェイ島の一部として州の残り部分からは分離されているが、政治的にはハワイの一部である。クレ環礁は、国際日付変更線の東方約にあり、世界で最も北にある環礁である。意外なことに、クレ環礁はミッドウェイ環礁より西に位置するにも関わらず、時間帯は1時間進んだUTC-10に設定されている(これはハワイの残りの地域と同じである)。幅約10km(6マイル)のほぼ円形をした堡礁で、浅い潟湖といくつかの島嶼から構成されている。陸地の総面積はで、そのうち南東部のGreen島がを占めている。海岸には多くのハワイモンクアザラシ("Monachus schauinslandi")が上陸しているクレ環礁には気候観測所が設置されていないため、下表のデータはミッドウェイ島のページより引用した。北回帰線より北となる北緯28°25'に位置しているが、気候は年中快適な気温のサバナ気候(ケッペンの気候区分ではAw)である。降水は一年を通じ概ね均等だが、5月と6月の2ヶ月間は乾季に分類される。クレ環礁の地質学的歴史は概ねミッドウェー島と似ているが、と呼ばれる場所により近い。このポイントの緯度では様々な物理的力によるサンゴ礁が成長する速度と消失する速度とが丁度等しくなっている。太平洋プレートの動きによってクレ環礁はゆっくりと北西に向かって移動し続けているが、水の温度がサンゴとサンゴ藻の成長にとって冷たすぎるため、サンゴ礁はアイソスタシーによる山の沈降分を埋め合わせるだけの成長量を維持できず、水没しつつある。想定外の地形進化や地球温暖化がなければ、他の火山の一員となり始め、やがて天皇海山群を構成するサンゴ礁の頂上のみが水面上に残った地形となっていく。なお天皇海山群を構成する地形は現在では全て海山となっている。ハワイ語でモクパパパ(Mokupāpapa)という語は元々「岩礁を伴う平らな島」という意味で用いられていた。北西ハワイ諸島はハワイ神話に登場すると関係している。島を作ったとされるペレの兄弟が旅行者を守るために残された。19世紀半ばまで、クレ環礁にいくつかの船が訪れており、その度に異なる名前がつけられていた。Cureともつづられるこの英語名はこの環礁を見たロシアの探検家が名づけたものである。1924年、公式にクレ島と名付けられ、1987年になってクレ環礁と変更された。周囲の岩礁で座礁した船の乗組員が大勢クレ環礁に取り残され、彼らは周囲にいたアシカ、カメ、トリを食べて生き抜く必要があった。現在でも、岩礁にはなどの難破船が残されている。これらの事故を受け、ハワイ国王のカラカウアは大佐を特別長官として派遣した。そして1886年9月20日、彼はハワイ政府によるこの島の領有を宣言した。王は島に取り残された遭難者のために、水タンクと食料を備えた簡素な家の建設を命じた。しかし食料は1年もしないうちに奪われ、家はすぐに廃墟と化した歴史上ほとんど無視されてきたが、第二次世界大戦中は米国海軍がミッドウェーより度々訪れ、巡回していた。これは日本軍がハワイ諸島の別場所を攻撃する目的で、潜水艦や潜水タンカーから放たれた飛行艇の補給にこの島を利用していることがないかを確かめるためであった。ミッドウェー海戦中、日本の空母飛龍から発艦した菊池六郎中隊長が操縦する中島製九七式艦上攻撃機(B5N)が米軍機による攻撃を受けてクレ環礁付近に不時着した。この機は米国のミッドウェー軍事施設破壊を目的とした日本軍による初期の攻撃に関与している。菊池中隊長と他2名の乗組員(飛行兵曹長の湯本智美、一等飛行兵曹の樽崎広典)は上陸したが、アメリカ上陸部隊が彼らを捕らえようとした時、彼らは捕虜となることを拒否して殺されたかまたは自決した。クレ環礁は太平洋ゴミベルトからがれきを運び出す主な海流の中に位置していて、漁業用の網や大量のライターなどが島内に漂着している。これが島内の動物、中でも鳥に対する脅威となっていて、胃にプラスチックが入った鳥の死骸がよく見られる。1998年10月16日、遠洋漁業船のパラダイス・クイーン IIがクレ環礁Green島の東端で座礁し、回復措置が取られるまでに約4,000ガロンのディーゼル燃料が流出した。難破船の破片が長年にわたって岩礁や海岸を汚染し続けており、野生生物を危機にさらしサンゴ礁を傷つけている。北西ハワイ諸島に生息する環境に敏感な生物がこの長期に渡る汚染によって危機にさらされている。より確実に生物を保護するため、国際海事機関は国立パパハナウモクアケア海洋遺跡(Papahānaumokuākea Marine National Monument)を特別敏感海域(Papahānaumokuākea Marine National Monument、PSSA)に指定した。さらにその地域への出入りを避けるため、特定敏感海域から10海里以内に設定した要報告区域に船が出入りする際、船主はそのことを報告することになっている。これは海難事故に素早く対応できるようにするためである。1960年から1992年まで、アメリカ沿岸警備隊LORAN局がGreen島に設置されていた。海岸警備活動のため島内にはサンゴでできた短い滑走路が建設されたが、廃棄され現在は使えない。定住者はいないが、以前はホノルル郡の一部であった。1981年には州立野生生物保護区となった。1993年より、とクレ環礁管理局からのボランティアが、より自然な状態に復旧する手伝いをしている。がクレ環礁への航海映像を制作し、2006年に初めて放送された。2010年から、森林野生生物課が通年でクレ環礁に駐在するようになった。クレ環礁は特に離れた場所にあるので、アマチュア無線の遠距離通信の対象となっている。クレ環礁からヨーロッパに至る電波の経路は丁度北極上空を通るので、クレ環礁との遠距離通信はヨーロッパのアマチュア無線愛好家の中でも特に人気がある。クレ環礁との遠距離通信例を以下に記す。クレ環礁のサンゴ礁周辺の水域数ヶ所で、、、、を含む27種の硬質サンゴ礁が確認されている。サンゴを食べるオニヒトデは、クレ環礁周辺の東部サンゴ礁外辺部に生息していて、北西ハワイ諸島の中で最も密集してる場所になっている。クレ環礁には、この他にも棘皮動物、軟体動物、甲殻類などさまざまな無脊椎動物が生息している。1923年による調査では、 35種の昆虫が確認された。クレ環礁の海岸近くにある海や珊瑚礁では、多くのイルカ、サメ、アジ、ヒメジ、ウツボ、希少種などが泳いでいる。Green島には何十万羽の海鳥が生息し営巣しているが、他の鳥類はここ以外の北西ハワイ諸島の島々に比べると少ない。クレ環礁はハワイアザラシが子育てや休息を行う上でも重要である。1960年代には沿岸警備隊駐屯地からの人為的撹乱が増加したことによりアザラシは減少したが、近年は再び増加している。Green島には13種の維管束植物が生息している。からの高さになるクサトベラ科の植物がたくさん生えている。長い緑色の葉が影を作り、花と実は島の白い砂丘を覆っている。Green島には元々ハワイ諸島にはいないアリの一種が多数生息し、島元来の生態系を脅威にさらしている。この島に生える侵略的な帰化植物にはカイガラムシが繁殖していて、このアリはのこの虫の体液をえさとしている。さらに、この島は太平洋の主要な海流中にあるため、何トンもの漁業網や海洋デブリがサンゴ礁や海岸に流れつき、アザラシ、ウミガメ、海鳥、魚、エビの生息をおびやかしている。
出典:wikipedia
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