川口 武定(かわぐち たけさだ、弘化3年1月26日(1846年2月21日) - 大正7年(1918年)1月19日)は、日本の官僚、陸軍及び海軍軍人。海軍主計総監(のちの主計中将)、貴族院議員。男爵。紀州藩士・川口武右衛門の長男として生まれる。紀州藩戌兵大隊計司を経て、明治政府に出仕。神奈川県大属、租税寮出仕、監史副長、監史総長などを経て、1873年7月、陸軍会計軍吏に任官。陸軍省第5局(経理)第6課長心得、第8課長心得、東京鎮台付、熊本鎮台在勤、第5局出仕などを歴任。1877年2月から10月まで、第1旅団会計部長として西南戦争に出征した。その後、東京鎮台在勤、東京鎮台会計部長、会計局第2課長、兼軍吏学舎長などを経、1887年11月、一等監督に進級。陸軍大学校教官、欧州出張、初代陸軍経理学校長などを歴任した。1893年5月、海軍に転じ主計総監となって海軍省経理局長に就任し、海軍主計科の育成に貢献した。1895年8月、日清戦争の功により男爵を叙爵し華族となる。1897年6月、予備役に編入され、1906年1月26日、後備役となる。1911年1月26日に退役した。1898年3月から1901年11月まで宮内次官、1904年7月から1911年7月まで貴族院議員を務めた。
出典:wikipedia
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