月ぬ美しゃ(つきぬかいしゃ、「月の美しさ」)は、八重山地方から伝わった沖縄民謡である。主に童歌として唄われ、『みんなのうた』でも放送されたことがある(副題「月がきれいなのは」)。八重山方言独自の母音がある(後述)他、八重山地方独特の奏法とともに唄われる(曲の各番ごとに変化を加える)。沖縄県の交通機関であるゆいレール古島駅や石垣空港の案内音声に、チャイムに編曲された音源が使用されている。日本本土の童歌に「お月さんいくつ、13七つ(じゅうさんなんつ)、まだ年ゃ若いな」というものがある。この13は13日目であるのはわかるが、次の七つは何なのかが謎である。これについて柳田國男はこの「月ぬ美しゃ」が伝わってきた間に13日目と17歳の間が抜け落ちたためと判断した。大濱安伴氏"(八重山古典民謡保存会の立ち上げ人&八重山古典民謡工工四上下巻の著者)" の歌い方は4番以降は1番から3番までの歌い方とは違う。それは全く何故4番から歌い方が変わるのかは根拠が無い。地元の八重山人は1番から3番までと同じようにして4番以降も歌っていたであろうと考えられている。『みんなのうた』では沖縄返還間もない1972年10月-11月に紹介。歌は原曲の1番と2番を「1番」とし、「2番」は1・2番を標準語に訳して放送した。同番組で沖縄民謡が取り上げられたのは、占領下時代の1966年8月-9月の『てんさぐの花』、同じく1967年2月-3月紹介の『花ぬ風車|花のかざぐるま〜花ぬ風車〜』に次いで3曲目で、返還後は初。作詞・作曲名義は「八重山民謡」で、編曲は広瀬量平が担当、歌は赤い鳥。赤い鳥は1971年2月-3月放送の『わたしの紙風船』に次ぐ、『みんなのうた』2回目の出演だが、この2年後の1974年に解散したため、本曲が「赤い鳥」では最後の出演、その後は「ハイ・ファイ・セット」と「紙ふうせん」に分かれて出演する。1974年12月30日放送の『特集みんなのうた』で再放送された事は有ったが、定時番組では再放送されて無い。
出典:wikipedia