1950年に八幡大学として設置され、1989年九州国際大学へ校名変更された。1929年、九州帝国大学の主事前田稔靖は、1924年同大学法文学部法科設立時の教授・大沢章(第一回九州法学校校長、国際法・憲法担当)、西山重和(国際法教授)、野津務(商法教授)と共に北九州地区に法律・経済の専門教育機関を設立することを企画。翌1930年に福岡県の許可を得て、小倉市(現在の小倉北区)に九州法学校を開設した(当初の校名は九州法学院、1932年から九州法学校)。当時日本屈指の工業地帯に発展していた北九州地区の新興企業や有力商社・金融機関への人材の育成と、夜学勤労者のための教育の場として設立されたのが、現九州国際大学の源流である九州法学校である。その後も北九州地区に於ける法律学専門の教育機関として、法律中心の専門学校・大学へと発展した。1950年、新制八幡大学としての法学部発足時は関西以西の西日本地区に於いて九州大学に次いで法学部を擁していた。建学の精神は人材の育成と共に実学の尊重・塾的精神であり、それらを基盤とした法の運用・実践の面での学究的成果を目指し、これまで多くの法曹・法学者を育成・輩出してきた。今日に於いてもその塾学精神を継承し各種ゼミに於ける少人数教育の充実を図っている。また、経済学部・国際関係学部の開設に辺り主にアジア各国との共生を図るべく学園及び学生の国際化、地域共生の推進、又地域社会貢献などの教育に力を入れている。2000年には枝光キャンパスから平野キャンパスへの全学移転完了に伴い、大学キャンパスを周辺地域に開放した。また外国人留学生を対象に「別科日本語研修課程」も設置している。図書館司書養成として、1960年から「文部科学大臣委嘱司書講習会」の定期開催大学であり、図書館学課程を開講し多くの司書を育成している。2010年、九州法学校以来創立80周年を迎えた。2011年度から本学開学時から伝統のあった夜間教育(二部)を廃止し昼間教育のみに切り替えた。但し大学院に於いては夜間の講義を行っている。著名な歴代学長として安田幹太、横松宗が知られている。2014年度から地域連携センターにて一般市民を対象とした法律相談所を設置し講義を開く。これは旧八幡大学時代、安田幹太らが中心となり1953年から開設されていた法律相談部の流れを引き継いだものである。『本校ハ北九州ニ於ケル清壮年ノヨキ指導者タルノ覚悟ヲ以テ設立セラレタルモノデアル、凡ソ社会状勢ノ複雑ナルニ従ツテ法律及ビ経済ニ関スル知識ノ習得ハ我々ノ生活ヲ改善シ我々ノ生活ヲ堅実ナラシムルタメニ不可欠ノモノデアル、サリ乍ラ法律及経済ニ関スル知識ノ習得ハ常ニヨキ指導者ノ下ニ継続的ニナサレナケレバ充分ニソノ目的ヲ達成シ難イ、本校ハコノ点ニ留意シ九州帝国大学法文学部教官ヲ主体トシタ優秀ナル講師陣ヲ布キ組織的ニ学科ヲ配置シ充実シタ講義ヲ持ツモノデアルガ、元ヨリ本校ハ単ニ知識ヲ授ケルバカリデナク、塾的精神ニ依リ、相互ニ心的鍛錬ヲナシ以テ誠実有為ナル人材ヲ養成スルコトニ腐心シテヰル・・・』(昭和13年度九州法学校入学案内「九州法学校概要」より抜粋)大学キャンパスは国際協力事業団(JICA)九州研修センターと、国際村交流センターに挟まれた国際通り沿いに位置。この一帯は大学も含めて北九州市から国際交流ゾーンと指定されている。研究室棟の7Fにはキャンパス周辺の市内が一望できるラウンジ・カフェがある。
出典:wikipedia
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