桂 春之助(かつら はるのすけ)は、上方落語の名跡。本来は桂文枝系統の名前だが、4代目は桂春團治系統が名乗っていた。3代目のみ文の家春之助と名乗った。後の初代桂枝太郎。2代目桂文都(後の2代目月亭文都)の門人。1904年11月28日没。享年、本名とも不明。文の家春之助(1877年 - 1904年12月27日)は、本名:田中巳之助。大阪の骨董商の息子。放蕩の末、1901年に桂文光(後の6代目三笑亭可楽から上方初代三笑亭芝楽)の門で光三郎、次いで2代目桂文之助の門で桂馬から春之助となった。即席噺を得意とした。この人物の最後は呆気なく、兵庫の龍野を巡業中、地元の悪党が春之助に瓜二つだったため、春之助を殺して自分を事故死したように見せかけ、保険金を詐欺しようと企んだ。本人はつゆ知らず、京都の寄席に出ている時に巧みに呼び出され、殺されるという不運な最期だった。悪党は死体に自分の衣装を着せた上、転落したように見せかけて谷底に突き落とした。しかし、成功に浮かれた悪党が友人に姿を見せたために足が付き、警察に捕まり、謀殺罪で死刑になった。2代目文之助は弟子を悼んで追善興行を行い、事件の顛末を織り込んだ新作「みぞろの露」を口演した。現在の桂春之輔。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。