『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』は、フジテレビ系列で1990年10月13日から1993年6月26日まで放送されたお笑いバラエティ番組である。ウッチャンナンチャンがメイン司会を務める冠番組でもあった。放送時間は毎週土曜日の20:00 - 20:54(JST)。略称は『やるやら』。1990年4月から半年間放送された『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』の好評を受け、時間枠を移動してリニューアル。内村光良と南原清隆以下、前番組のレギュラーやコーナーが引き継がれ、コントを中心に構成。多くの名物キャラクターが生まれ、子どもから若者までに人気を博した。キャラクター名義でのCD発売や、レッドカンパニーによる『ナン魔くん』・『やるやらクエスト』の『コミックボンボン』誌での漫画化など、大々的なメディアミックス展開が行われたことでも知られる。放送当時、バブル景気がはじけ始め、当時の日本は何とかバブル景気を維持しようと、大量消費をしていた時代であったため、用心棒のパロディで映画の街道を、フィールド・オブ・ドリームスのパロディでは、スタジオに野球場を作るなど忠実なものにし、映画、ドラマのパロディ1本にも何百、何千万もの制作費を惜しみなく使ったセットはたいそう豪華なもので映画好きの内村は気に入っていたという。『やるやら』では同局のテレビドラマパロディがしばしば行われ、内村扮する武田鉄矢や南原扮する浅野温子など、なりきりぶりが評判となった。また、実際のドラマで登場する一部の俳優、タレントなども出演した。『やるやら』からは数々の人気キャラクターが生まれ、不特定のコーナーに登場した。この他に、『蒲田行進曲』のキャラがモデルの小夏(南原)、追っかけギャル(内村)、ロシア人夫婦(内村とピンクの電話の竹内都子)などが登場した。ほか1993年6月24日未明、フジテレビ第4スタジオで人気コーナー「やるやらクエストII」の収録中、ゲストとして参加していた香港のロックバンドBEYONDのメンバー黄家駒がセットから転落して頭部を強打し、重体(急性硬膜下出血、頭蓋骨骨折、脳挫傷)となって東京女子医科大学病院に搬送される事故が発生した。この事故では内村も転落しており、全治2週間の打撲傷を負った。6月26日、番組冒頭に「先日番組収録中に事故があり、皆様にご心配をおかけしましたことをおわび申し上げます。負傷されたウォン・ガークゥイさんの一日も早い回復をお祈り申し上げます」とのテロップを表示し、通常通り放送された。番組の最後には、内村が「来週のやるやらはまたナイターでお休みでございます。再来週7月10日にお会いいたしましょう」と予告した。6月30日16時15分、黄家駒が収容先の病院で死亡した。その夜にフジテレビの村上光一編成局長(当時)が緊急記者会見を開き、番組の今後について「当面、放送自体が野球ですとかJリーグですとか、24時間テレビといったようなことで、たまたま休みが入りましたので、その間にしかるべき結論を出したいという風に思っています」と発言した。7月1日、フジテレビの記者会見で番組の打ち切りが正式に決定され、『タイム3』で詳細を公表した。7月2日、内村がウッチャンナンチャンのオールナイトニッポンで仕事復帰。番組冒頭より今回の事件に関して二人の口から語られ、黄家駒への追悼としてBEYONDの曲をかけ、リスナーからの届いた励ましの便りなどを紹介した。7月3日、ナイターが雨で中止となるも『やるやら』は放送されず、代わりに峰竜太、中山秀征、鷲見利恵による司会でジャパンプロデュース製作の特番が放送された。7月10日、つなぎ番組『フジテレビ人気番組の最終回全部見せますスペシャル』の冒頭で、フジテレビの露木茂アナウンサー(当時)と吉崎典子アナウンサーにより番組打ち切りの経緯が数分間放送された。『ウッチャンナンチャンのビデオもやらねば!』 発売元:フジテレビ/販売元:ポニーキャニオン 収録時間:各60分『ウッチャンナンチャンのやるやらフォーエバー』(2009年12月25日発売) 発売元:フジテレビ/販売元:ポニーキャニオン 収録時間:合計約450分 15750円(税込)
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