ゴレ島(ゴレとう、Île de Gorée)は、セネガルの首都ダカール沖合いの島。過去には奴隷貿易の拠点として栄え、世界遺産に登録されている。島全体がダカール市の19の行政区の一つ、ゴレ区となっている。セネガル共和国の首都ダカールの沖合い約3kmに浮かぶ。島は東西300m、南北900mと小さい。セネガルの最古のイスラム教のモスクも残っている。1815年に統治国だったフランスが廃止するまで、奴隷貿易の拠点として栄えた。かつての奴隷収容所が島内に残っている。1444年、ポルトガル人が到達する。1628年、オランダにより占拠される。以後、イギリスとフランスが領有争いを繰り広げるが、最終的にフランス領とされる。フランスはフランス革命の際1794年に奴隷廃止を宣言したが、1802年にナポレオンが砂糖プランテーションの農場主の要請により撤回している。ナポレオンの最初の妻であるジョゼフィーヌ・ド・ボアルネの父も、富裕なマルチニークの農場主であった。1815年3月百日天下の際にナポレオンはイギリスの歓心を得るために奴隷貿易を廃止した。奴隷貿易が廃止されると商業の中心はリュフィスク(1840年)、ダカール(1857年)へと移った。1872年サンルイと共にフランス式のコミューンが置かれた。ダカールも当初はゴレ・コミューンの一部だったが、1887年に独立した。1891年ゴレには2,100人、ダカールに8,737人の人口があった。1926年にはゴレ700人、ダカール33,679 人となり、1929年にゴレはダカールに統合された。1960年セネガルの独立に伴い、セネガル領となる。1978年に、ユネスコの世界遺産(文化遺産)として登録。奴隷貿易の拠点として栄えた史跡を背景として、負の世界遺産にも数えられている。1996年の行政改革に伴いダカール市の19区の1つとしてのゴレ・コミューンが復活し、旧市役所が再利用されている。ゴレ・コミューンの議会は5年に一度選挙され、区長は議員により選ばれる。2002年以降の区長はオーギュスタン・サンゴール。2003年、アメリカ合衆国のブッシュ大統領がセネガルを訪問した際の、首脳会談の場所となる。会談の期間中、島民を退去させるなどしたため、「第二の奴隷」などとしてセネガル国内で大きな非難を浴びた。島内には、かつて奴隷の収容に使われていた奴隷の家が残されている。また、セネガル女性博物館、ゴレ島セネガル歴史博物館、IFAN海洋博物館の3つの博物館がある。この島を主題にした音楽作品にイアニス・クセナキスの『チェンバロとアンサンブルのためのゴレ島にて』がある。
出典:wikipedia
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