インターネット・プロトコル・スイート()とは、インターネットおよび大多数の商用ネットワークで稼動するプロトコルスタックを実装する通信プロトコルの一式である。インターネット・プロトコル・スイートは、インターネットの黎明期に定義され、現在でも標準的に用いられている2つのプロトコル、Transmission Control Protocol (TCP) とInternet Protocol (IP) にちなんで、TCP/IPプロトコル・スイートとも呼ばれる。今日のIPネットワーキングは、1960年代と1970年代に発展し始めたLAN (Local Area Network) とインターネットの開発が統合されたものである。それは1989年のティム・バーナーズ=リーによるWorld Wide Webの発明と共にコンピュータに革命をもたらした。インターネット・プロトコル・スイート(類似した多くのプロトコル群)は、階層の一式として見ることができる。各層はデータ転送に伴い生じる一連の問題を解決し、下位層プロトコルのサービスを使用する上位層プロトコルに明確なサービスを提供する。上位層は利用者と論理的に近く、より理論的なデータを処理する。また最終的に物理的に転送できる形式へデータを変換するため、下位層プロトコルに依存する。TCP/IP参照モデルは4つの階層で構成される。TCP/IPはあらゆるベンダーのコンピュータや、全く異なるOSで相互に通信することを可能にする。1990年代には一般的な通信として広く使われるようになり、プロトコルが無料で開放されていることからオープンシステムであると言える。インターネット・プロトコル・スイートの最初期の定義は、G. Delocheが記述し、1969年5月にRFC8として発行された、ARPA Network Functional Specificationsにまで遡ることができる。インターネット・プロトコル・スイートは、1970年代初期に米国国防高等研究計画局 (DARPA) による研究から登場した。1960年代後半に先駆的なARPANETの構築後、DARPAはその他様々なデータ転送技術における研究を開始した。1972年、ロバート・カーン (Robert E. Kahn) はDARPA情報処理技術室 (IPTO: Information Processing Technology Office) に雇われた。そこで彼は衛星パケット網と地上の無線パケット網の研究に取り組み、それらを横断して通信ができる事の価値を認識した。1973年春、ヴィントン・サーフ(Vinton Cerf。その当時既に完成していたARPANET Network Control Program (NCP) プロトコルの開発者)は、ARPANETの次世代プロトコルを設計する事を目標に、オープン・アーキテクチャ相互接続モデルに取り組むためにカーンと合流した。1973年の夏までに、カーンとサーフはすぐに基本的な改良を解決した。ネットワーク・プロトコル間の違いは、共通の相互接続ネットワーク・プロトコルを用いる事で隠蔽された。そしてARPANETにおいては、信頼性についてネットワークが責任を持つ代わりに、ホストが責任を持つようになった。サーフはHubert Zimmermanとルイ・プザン(CYCLADESネットワーク設計者)が、この設計に対して重要な役割を果たした功績を認めている。ネットワークの役割を最低限まで減らす事で、それらの特性が何であろうとも、ほぼ全てのネットワークを統合できるようになった。それによりカーンの当初の問題も解決した。よく言われる事は、TCP/IP(サーフとカーンの取り組みの最終成果)は「two tin cans and a string」(2つの空き缶と1本の紐、すなわち糸電話)でも機能するだろうという事である。伝書鳩を用いて稼動するための実装案「鳥類キャリアによるIP」さえ存在する。(RFC 1149)(その他の型の"ゲートウェイ"との混同を避けるために"ゲートウェイ"から改名された)"ルータ"と呼ばれるコンピュータ はそれぞれのネットワークにインターフェースを提供し、ネットワーク間で行き来するパケットを転送する。ルータに関する必要条件は RFC 1812で定義された。その着想は1973〜74年度にスタンフォード大学のサーフ ネットワーク研究グループによってより詳細な構造が作り上げられ、最初のTCP/IP仕様 RFC 675を生み出した。(PARC Universal Packet プロトコル群を生み出した、ゼロックス パロアルト研究所における初期のネットワーク研究も、大半が同時期に行われ技術的に重要な影響を与えた。人々はその2つに注目した。)その後、異なったハードウェア上の実用プロトコルを開発するため、DARPAはBBNテクノロジーズ、スタンフォード大学およびユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンと契約した。4バージョンが開発された。TCP v1、TCP v2、1978年春にはTCP v3とIP v3に分離、そして安定版のTCP/IP v4 - これは今日のインターネットでもまだ使われる標準プロトコルである。1975年、スタンフォード大学とユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン間で、2拠点のTCP/IP通信試験が実施された。1977年11月、アメリカ、イギリス、ノルウェー間で、3拠点のTCP/IP試験が実施された。1978年から1983年にかけて、複数の研究施設でその他いくつかのTCP/IPの試作が開発された。1983年1月1日、ARPANETはTCP/IPへ完全に切り替えられた。1982年3月、アメリカ国防総省は全ての軍用コンピュータ網のためにTCP/IP標準を作成した。1985年、インターネットアーキテクチャ委員会は、コンピュータ産業のために3日間のTCP/IPワークショップを挙行した。250の業者代表が参加し、TCP/IPの普及を助け、商用利用の増加に繋がった。2005年11月9日、アメリカ文化への貢献を称え、カーンとサーフに大統領自由勲章が授与された。TCP/IPをサポートしたUNIX系オペレーティングシステム (OS) である4.2BSDは1983年9月に登場している。この時期のUNIX系OSは大学機関を中心に発展してきた経緯があるが、1980年代後半には日本の大学でもUNIX系OSが用いられているところでは大学内ネットワークにTCP/IPが用いられていた。1988年8月2日、JUNETに大きく関わった村井純によって日本からのインターネットへのTCP/IP接続試験が行われ、その後、日本でもインターネットを取り巻く環境の整備が進むとともにTCP/IPが普及していくことになった。1989年9月、最初の日本語による解説書である西田竹志著「TCP/IP」が発行された。1997年3月、全国銀行協会連合会が傘下銀行の企業・銀行相互間のオンラインデータ交換において使用できる新しい標準通信プロトコルとして、全銀TCP/IP手順を制定した。それまで利用されてきた全銀手順に代わり、電子データ交換でもTCP/IPが使われるようになった。(日本におけるインターネットの歴史については日本のインターネットを参照)IP群はプロトコルとサービスをカプセル化する事によって抽象化する。通常、より上位層のプロトコルはその目的の達成に役立てるために、より下位層のプロトコルを用いる。これまでIETFはインターネット・プロトコル・スタックを RFC 1122 で定義された4層から変更した事はない。IETFは7層からなるOSI参照モデルに従うような試みはせず、また標準化過程 (Standards Track) にあるプロトコル仕様やその他の構造上の文書をOSI参照モデルに対して参照する事もしない。いくつかの教科書ではインターネット・プロトコル・スイート・モデルを7層のOSI参照モデルへ対応付ける事を試みた事がある。その対応付けは、インターネット・プロトコル・スイートのリンク層を物理層の上のデータリンク層へ、またインターネット層はOSI参照モデルのネットワーク層へ割り当てられる事が多い。それらの教科書は RFC 1122 やその他IETFの一次情報の意図と矛盾する二次情報である。IETFは再三にわたりインターネット・プロトコルと構造の開発はOSI参照モデルに準拠する事は意図しないという事を述べている。TCP/IP(正確には IP + (TCP or UDP))は今日、ほとんどの商用および非商用のOSに実装されている。ほとんどの利用者は利用するために探したり、自分で実装する必要は無い。特に広く使われている実装はバークレーソケットである。全ての商用UNIX、BSD系のPC-UNIX、BSDベースのMac OS Xはもとより、LinuxなどのUnix系OSや、Unix系でないWindowsなどでも使用されている。その他の実装には、組込みシステムのために設計されたオープンソースのプロトコル・スタックであるlwIP()、アマチュア無線のパケット通信で使われているKA9Q(、KA9Qは開発者Phil Karnのコールサインである)、TINETなどがある。TCP/IPを使用して構築されたプライベートネットワークをイントラネットと呼び、これは今日のLANにおける事実上の標準と言える。イントラネットで用いられるプロトコルの代表例を下記に挙げる。
出典:wikipedia
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