トゥイアトゥア・トゥプア・タマセセ・エフィ(、1938年3月1日 - )は、サモア独立国のオ・レ・アオ・オ・レ・マーロー(国家元首、在位:2007年6月20日 - 現職)。トゥプア・タマセセ・トゥプオラ・トゥフガ・エフィ()とも名乗る。1938年、であった父トゥプア・タマセセ・メアッオレと母ノウエ・イレーネ・グスターヴァ・タイッシ・ネルソンとの間に生まれた。西サモアでの初等教育と、ニュージーランドの首都ウェリントンでの中等教育(聖パトリック・カレッジ)は、カトリック系のマリスト・ブラザース国際学校の系列の学校で一貫して学んだ。ウェリントンのヴィクトリア大学で高等教育を修めた後、ニュージーランドやオーストラリアの大学で教鞭を執った。西サモアに帰国後も、政治活動と並行して教育者としての活動に従事している。1966年に立法議会議員に当選して、に属した。この時期トゥプア・タマセセの称号を保持していたのは、従兄のであり、エフィは単にトゥプオラ・トゥフガ・エフィと名乗っていた。1970年から1972年まで公共事業担当大臣を務めた後、1976年3月24日から1982年4月13日まで2期続けて首相を務めた。2期目の1981年に公務員の労働組合のストライキで行政機能の麻痺を招き、翌1982年の議会選挙で敗北して、それまでの野党であったに政権を譲って首相を辞職した。その後サモアでは2009年まで与野党の入れ換えという意味での政権交代は起きていない。1983年のレアロフィオアッアナ4世の死によりトゥプア・タマセセの称号を継承してタマ・ア・アイガとなった。1982年、キリスト教民主党の党首に選出された。その後同党はと合同してとなったが、引き続きエフィが2001年まで党首を務めた。2004年、立法議会議員を辞任した。翌2005年、同じくタマ・ア・アイガであるトゥイマレアリッイファノ・スアラウヴィ2世と並んで、国家元首不在時の代行機関である代表者会議のメンバーに選出された。2007年5月11日、オ・レ・アオ・オ・レ・マーローであるマリエトア・タヌマフィリ2世が死去すると、サモア独立後初めての選挙で選ばれた国家元首としてエフィが選出され、同年6月20日に就任した。
出典:wikipedia
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