国分氏(こくぶし/こくぶんし)は、秦氏改め惟宗氏の子孫。薩摩国に下向した執印氏の分家。薩摩国分寺の留守職を代々嗣ぎ、戦国時代には有力な国人領主となる。その後、遠縁筋の島津貴久の家臣となり、以後薩摩藩士として続く。惟宗姓執印氏初代康友の二男の友久は、国分寺沙汰職(留守職)並びに天満宮別当職に補任され、水引城(国分城)に居城して国分氏を称する。15代友積に至り天正15年(1586年)豊臣秀吉の侵攻に伴い鹿児島に移り、以後鹿児島に居住する。(高250石・川内天神領は従前通り領治。家格小番)----新田神社所有の花鳥文様の銅鏡は、中心の鈕の左側に「永仁二年三月十八日 左衛門尉友俊 施入之」と線刻の銘があり、永仁2年(1294年)か鎌倉後期の製作とみられる。「左衛門尉友俊」は、鎌倉時代、新田神社とも関係の深かった惟宗姓執印氏の分流の国分氏ではないかといわれている。国分氏の8代目に友俊の名がみえる。また国分氏は代々「左衛門」「左衛門尉」を称している。銅鏡は国の重要文化財に指定されている(大正7年4月8日指定)。
出典:wikipedia
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