ビューチフルドリーマー () はイギリス産の繁殖牝馬。1908年に日本の小岩井農場が輸入した20頭の繁殖牝馬のうちの一頭であり、多くの活躍馬を送り出して現在まで続く日本の一大牝系の祖となった。1904年に勃発した日清、日露両戦争を経て、欧米と日本の間における歴然とした軍馬の資質差が問題となり、この育種改良が喫緊の課題となった。1907年に馬政局が設置され、馬産振興を名目とした、日本における本格的な近代競馬が始まった。馬の生産は国家事業として各地の御料牧場が中心となったが民間においての生産も大いに奨励され、これを受けて三菱財閥が経営する、当時民間で最大の牧場だった小岩井農場がイギリスより種牡馬インタグリオーと20頭の繁殖牝馬を輸入する。その内に含まれていた1頭がビューチフルドリーマーである。購買価格は日本円で5500円で、これは現在の貨幣価値に換算しておよそ5億から6億円という大金であった(当時は日本円とポンドの貨幣価値に大きな開きがあったことによる)。購買に当たっては下総御料牧場長の新山荘輔が馬の選定を担った。一説には破産した牧場の繋養牝馬を丸ごと買い取ったともいわれているが、その真偽については定かではない。輸入後、インタグリオーとの交配によって誕生した1番仔インタグリオ(血統名・第五インタグリオー)は目黒競馬場で行われた当時最高峰の競走、連合二哩をレコード勝ちするなどの活躍を見せ、ビューチフルドリーマーの購買価格を上回る7130円の賞金を稼ぎ出した。1919年生まれのスターリングは子馬の頃に4500円の高額で買われ、連合二哩に優勝して期待に違わぬ名馬と言われたが、後に競走中の事故で死亡した。そのスターリングに代わって登場した半妹のチェリーダッチェスは横浜の帝室御賞典をはじめ17勝をあげた。3番仔エチゴも大レースでの勝利こそなかったが、3度のレコード勝ちを記録し、帝室御賞典で2着と3着になるなど活躍し、6510円を稼いだ。チェリーダッチェスは繁殖牝馬となってから帝室御賞典勝ち馬のニッポンカイを産み、母娘二代の御賞典馬となった。ビューチフルドリーマーの名をさらに高めたのは、ダイヤモンドウェッディングとの間に生まれた種義と、孫のバッカナムビューチーという2頭の牝馬である。種義は繁殖牝馬として帝室御賞典優勝のキンテンや牝馬アストラル、ハクヨシを産み、さらにアストラルはカブトヤマ、ガヴアナーという2頭の東京優駿優勝馬、帝室御賞典優勝馬ロツキーモアーを輩出し、繁殖牝馬としても特筆すべき成績を残した。アストラルの牝駒の第参アストラル、雪義の2頭からは大きく牝系が広がり、前者は優駿賞年度代表馬タケホープと優駿牝馬勝ち馬タケフブキ姉弟を最も有名なものとして、オーハヤブサから派生した千代田牧場のワールドハヤブサ系のビクトリアクラウンやニッポーテイオー、タレンティドガール等が昭和50年代から60年代にかけて活躍した。雪義の子孫からは天皇賞馬エリモジョージや桜花賞馬エルプス、さらにエルプスの孫にGI競走3勝のテイエムオーシャンがいる。また、ビューチフルドリーマーとインタグリオーの子、第三ビューチフルドリーマーからは、第5仔バッカナムビューチーの牝系から五冠馬シンザン、メイヂヒカリという2頭の顕彰馬、1954年の啓衆社賞年度代表馬ハクリヨウといった日本競馬史を代表する名馬が出ている。他にも第7仔ブライトンの牝系から菊花賞馬インターグシケンや桜花賞馬タマミが、第8仔ブランチの牝系からオークス馬ヒロヨシが出た。現在でもビューチフルドリーマーの子孫の活躍馬は数多い。2012年のヴィクトリアマイルをホエールキャプチャが優勝し、輸入から100年を経過した後も中央競馬のGI馬を出している。以上のようにビューチフルドリーマーの系統は現在に至るまで勢力を保っており、日本の貴重な在来牝系として、血統的にも未だ注目を集め続けている。ビューチフルドリーマーが繋養されていた岩手県にある岩手県競馬では、その功績を記念した重賞競走ビューチフル・ドリーマーカップが施行されている。父Enthusiastは1889年の2000ギニーの優勝馬。母Reposoの甥(ビューチフルドリーマーの従弟)にドイツ最古の重賞競走ウニオンレネンの優勝馬Mondsteinがいる。
出典:wikipedia
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