フェラーリ 250GTOは、イタリアの自動車メーカーのフェラーリが開発したスポーツカー。2004年に『スポーツカー・インターナショナル』誌が発表したトップスポーツカーランキングで総合1位に選ばれた。世界スポーツカー選手権はスポーツプロトタイプの競争過熱を憂慮し、1962年から国際マニュファクチャラーズ選手権と改名した上で、量産車のGTカークラスにチャンピオンシップがかけられるようになった。フェラーリはこれを制するため、先代の250GTベルリネッタSWBの空力的弱点を改良した250GTOを投入した。"250"は250cc×12気筒=3,000ccエンジン(実際には2,953cc)を示す。"GTO"はGran Turismo Omologato(グラン・ツーリスモ・オモロガート)の頭文字で、GT選手権用として公認(ホモロゲーション)を取得したモデルという意味である。実際にはいくつかのエンジンバリエーション違いを含め39台が作られたに留まり、「連続した12か月に100台以上生産」というGT選手権参戦基準(ホモロゲーション)を受けるにはほど遠かった。しかしフェラーリ側はSWBのバリエーションと説明し、SWBの生産台数230台とあわせて100台を超えていると主張した。当時のGTレギュレーションでは、ホモロゲーションを受けるにはボディ形状は決まっておらず自由とされており、たとえ1台ずつ形状が違っていてもルール違反にはならなかった。SWBにはオールアルミボディ、6連キャブレター、5速ミッションなどのオプションが巧みに設定されていたため、フェラーリ側からの申し入れが認められ、GTOはホモロゲーションを取ることに成功した。1961年のル・マン24時間レースに、スクーデリア・フェラーリから1台の奇妙なベルリネッタ・フェラーリがエントリーした。ゼッケン12をつけたこのマシンは素晴らしいパフォーマンスを見せながら、結局エンジントラブルでリタイアしてしまった。SWBのシャーシにピニンファリーナデザインの400スーパーアメリカ風のボディを纏い、低められたボンネットの下には250テスタロッサの3.0L・6ウェーバーキャブ・ドライサンプエンジンが搭載されていた。この車こそ翌1962年に登場する250GTOのプロトタイプであった。翌1962年初頭のデイトナ24時間レースにも姿を現し、その直後250GTOが発表された。その後、この車は1962年の耐久レースにたびたび出場している(この年のルマンでは総合9位でフィニッシュしている)。1962年から1963年にかけて36台製造されたGTOはシリーズI、または単にGTO 62-63と呼ばれる。国際マニュファクチャラーズ選手権では1962年・1963年に連続してGT-IIIクラス(排気量2L以上)のチャンピオンを獲得した。1962年にモデナで発表された250GTOは、ベースとなったSWBの鋼管チューブラーフレームの楕円断面を微妙に変化させるなどして軽量化が図られていた。ホィールベースはSWBと同じ2,400mm。ボディーはデザインがフェラーリ自社ともスカリエッティとも言われ、スカリエッティが製造した総アルミニウム製。ボディスタイルは250GTエクスペリメンタルで問題になったフロントのリフトを抑えるため、フロント部をSWBよりさらに低く長くされた。一方後部はさらに太くなったタイヤを収めるため大きく盛り上がったリアフェンダーと、ファストバックのリアデッキがすっぱり切り落とされたカットオフテール、いわゆるコーダトロンカを形成していた。1962年型はフロントサイドのスリットが2本であるが、冷却性能向上のため1963年生産のものから3本へ増やされた。全高はSWBより90mmも低くなったが、これはSWBのウェットサンプからテスタロッサのドライサンプへエンジンを変更したことで実現した。SWBの3キャブに対して6基のウェーバー38DCNキャブレターを備え、テスタロッサと同じカムシャフト、特別なエキゾーストを与えられた結果、300HP/7500RPMの出力を発生した。ただしテスタロッサとは違いGTOのカムカバーは黒の結晶塗装が施されている。ミッションはフェラーリ自社製の5段・フルシンクロメッシュで、ギア比は2.99-1.99-1.44-1.17-1.00(1〜5速)となっている。最終減速は8種類用意されていたが、最高速度は最も標準的なセットで251km/h、最高速仕様を選んだ場合計算上300km/hを越える(実際ルマンサルテ・サーキットのストレートで280km/hをマークした)。1962年型と1963年型の外観差は、前述のサイドスリットのほかに、リヤスポイラーがリベット止めのものが1962年型の初期生産型、1962年中期以降から1963年型はリヤフェンダーと一体型となった。1963年型からリアフェンダーのフレアが大きくなった。また元々ハンドメイドのボディパネルのため、修理するたびにディテールが異なってしまった車もみうけられる。1964年、フェラーリは強力なライバルシェルビー・デイトナの出現に備え、250LMをGTクラスへ投入する予定だった。GTOの公認取得の際に通用した「エボリューションモデル」という理屈を今回も持ち出したが、エンジンレイアウトが異なる点(GTOはFR、LMはミッドシップ)などから受け入れられず、GTクラスの公認を得られなかった。また、250LMの戦闘力も熟成が進む1964年後半までは高くなかった。そこで急遽250GTOを3台増産、さらにGTO62-63に改良が加えられた。1964年に3台製作されたGTOはおもに空力面が改良され、250GTO64、またはシリーズIIと呼ばれた。ボディデザインはピニンファリーナとなり、直線的なフロントノーズ、250LMプロトタイプと同様のカットオフルーフを備え、ただし3台とも細部のディテールが異なっている。エンジンは基本的に62-63年型と変わらないが、発電機がダイナモ(直流発電機)からオルタネーター(交流発電機)へ変更になっている(ヘッドライトのハロゲン化のため)。何台かのGTOシリーズIがシリーズIIと同じ(細部は異なる)ボディに換装されている。GTOシリーズIIは1964年初旬のデイトナ24時間レースに勝利し、ライバルと目されたシェルビー・デイトナが、ホモロゲーションの取得が遅れるのを尻目に、その後もGTクラスで勝ち続け、フェラーリにGT-IIIクラスの3年連続チャンピオンをもたらした。ただル・マンではシェルビー・デイトナに敗れている。GTOの生産内訳は3.0Lが36台、4.0Lのプロトタイプが3台製作された。そのほとんどがレースで活躍し、すばらしい戦績を残した。また39台は全て現存している。GTOには派生したいくつかの車種がある。330GTエクスペリメンタルは1962年のニュルブルクリンクに登場したプロトタイプの4.0L版で、330LM(330TRI)のシャーシにGTOシリーズIのボディを着せ、リアの足回りを変更したものである。また高くなったエンジン高をクリアするため標準のGTOに比べ明らかに膨らんだボンネットバルジを持っていた。エンジンは330LMと同じく375〜400HPと推測される。計3台が製作された。330LMBは1963年に登場した。この車はGTOのシャーシに、当時の市販ロードカーであったベルリネッタ・ルッソのキャビン部分を着せたもので、3.0L版の250LMB(250GTOのボディ違い)と4.0Lの330LMBが作られた。330LMBはプロトタイプクラスのエントリーであったが、330LMBは250GTOを最高速度で凌いだ。330LMBは4台製造されたが、シャーシNo.4381GTの330LMBはその後改装され、フランス/イタリア合作の映画「Spirits of the Dead(邦題:世にも怪奇な物語)」の中の一遍「Toby Dammit」に「ゴールデン・フェラーリ」として登場している。2014年8月14日、米国カリフォルニア州で開催された「モンテレー・カー・ウイーク」で、「ボナムズ」主催のオークションに、1962年式フェラーリ250GTOが出品され、3811万5000ドル(約39億円)で落札された。この価格は、2013年に英国で開催されたオークションに出品された1954年式『メルセデス・ベンツ W196 R F1』の2965万ドル(約30億円)を上回り、当時の自動車のオークション史上最高値とされている。このGTO(S/N3851GT)はサンマリノ共和国の『マラネロ・ロッソ・ミュージアム』の元所蔵車で、1992年にこのミュージアムのイベントを取材した『カーグラフィック』が製作したビデオ、『SEMPRE FERRARI』(発売ポニーキャニオンPCLP-00382)にはこの車の走行シーンが収められている。この他非公式では63年式が5200万ドル(約50億6800万円)で落札されたこともあるという。
出典:wikipedia
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