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エル・イエロ島

エル・イエロ島 (El Hierro)は、大西洋上アフリカ沖のカナリア諸島の南西端の島である。別名「子午線の島」。面積は278平方キロメートル、最高所の標高は1,501m。スペイン・カナリア諸島州に属し、人口は10,162人(2003年)、主な町は北東岸にあるバルベルデである。「エル・イエロ」("El Hierro")という名前は、「鉄」という言葉に対するスペイン語のように綴られるが、実際にはそれとは関係ない。金属の名称の方の'H'はラテン語の"ferrum"に由来する。島の名前の方の'H'は、中世スペイン語の正書法に由来する。当時は"I"と"J"の文字の区別がまだされておらず、"i"を子音の[ʒ]ではなく半母音と解釈する場合に、語頭の"ie"の前に黙字の"h"をつけることになっていた。しかし、スペイン語で鉄を意味する単語と同じ綴りであることが、他の言語での名前を付ける際に影響した。16世紀初頭の地図や書物では、この島は「鉄」を意味する単語の名前で呼ばれている。例えばポルトガル語では"Ferro"、フランス語では"l'île de Fer"、ラテン語では"などである。元の名前である"ero"または"erro"もしくは"yerro"の由来はわかっていない。スペインによる前の住民であるグアンチェ族が話していたグアンチェ語の単語であろうと考えられている。の著書「カナリア諸島の発見と征服の歴史()」(1764年にが翻訳・出版)では、島の名前は現地語で"Esero"(または")で、「強い」('strong')の意味であるとしている。 しかし、は"Le Canarien"の彼の翻訳の注釈で、「水槽・貯水池」を意味する"hero"または"herro"というグアンチェ語の単語が、民間語源により容易に"hierro"になり得ることに気づいたと記している。 グアンチェ族は雨水を貯めるのに貯水池を築いていたと考えられている。"Gran diccionario guanche"では、グアンチェ語の"hero"はスペイン語で"fuente"(泉)の意味であるとしている。グアンチェ族と呼ばれる先住民族は、フランスの探検家ジャン・ド・ベタンクールの支配下に置かれたが、それは軍事行動ではなく交渉によるものであった。ベタンクールはエル・イエロ島の当主の兄弟であるAugeronを同盟者・交渉者としていた。Augeronはヨーロッパ人によって数年前に捕えられ、ヨーロッパ人とグアンチェ族の間の調停者として連れて来られていた。ベタンクールは、島に対する支配と引き換えに島民の自由を尊重すると約束したが、結局彼は約束を破り、多くのグアンチェ族を奴隷として売った。その後、多くのフランス人とガリシア人が島に移住した。島知事Lázaro Vizcaínoによる苛烈な処置にたいする先住民族による反乱があったが、それは鎮圧された。2000年、エル・イエロ島の60%の土地が、自然と文化の多様性を保護するためのユネスコの生物圏保護区に指定された。カナリア諸島の他の島と同様に、エル・イエロ島は鋭い山や火山の島である。記録された火山の噴火は1回だけで、1793年にVolcan de Lomo Negroが噴火している。噴火は1ヶ月間続いた。エル・イエロ島は面積278.5kmの島である。約120万年前に3つの連続した噴火によって形成され、三角形の玄武岩の岩脈を高さ2000メートル以上の火山円錐丘がおおう形で海上に出ている。 カナリア諸島の中でも多い数の火山(500以上の円錐丘と300以上の火山堆積)の継続的な活動により、およそ70の洞穴が形成された。その中には、合わせて6km以上の長さを持つ:Cueva de Don Justoもある。地すべりにより、島の高さと大きさは小さくなっている。島の最高地点は、島の中央にあるマルパソで、1501mある。他のカナリア諸島の島と同様、エル・イエロ島は観光地になっている。やフェリーターミナルが整備されており、どちらもテネリフェ島からアクセスできる。エル・イエロ島はサンタ・クルス・デ・テネリフェ県に属する。島内には以下の3つのムニシピオ(基礎自治体)がある。バルベルデは島の北東岸、フロンテラは北西岸にあり、エル・ピナールは南岸にある。島の役所("cabildo insular")はバルベルデにあり、島の人口の約半分が住んでいる。エル・イエロ島はヨーロッパの歴史上、(後のイギリス帝国を除いて)共通の本初子午線が設定された島として知られている。既に2世紀には、プトレマイオスが「当時知られていた世界」の西の端に基づいて本初子午線(経度0度)を設定することを検討し、地図に正の値のみ(本初子午線より東のみ)の経度を記述している。1634年、ルイ13世と宰相リシュリューが統治するフランスは、フェロ島(エル・イエロ島)を通るフェロ子午線を地図の基準子午線とすることを決定した。これは、フェロ島が旧世界の西の端と考えられていたためである。アゾレス諸島はフェロ島よりも西にあるが、アゾレス諸島をヨーロッパ人が発見したのは1427年のことであり、旧世界の一部という認識はなかった。パリを通るパリ子午線の20度とするため、フェロ島の正確な位置は考慮されなかった。(イギリス・アメリカを除く)西洋の古い地図では、図幅の上にパリ経度が、図幅の下に(パリ経度を20度西にずらした)フェロ経度が書かれていた。電力は主に風力発電によって賄われている。ウンベルト・エーコの小説『』("、1994年)で、エル・イエロ島に触れている。この小説は、国際日付変更線上の島に漂着したイタリア人青年の話である。

出典:wikipedia

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