重原 久美春(しげはら くみはる、1939年2月5日 - )は日本の金融経済政策の専門家。日本銀行金融研究所長などを経て、経済協力開発機構(OECD)で経済総局長兼チーフ・エコノミストとなり、日本人として初めて経済畑トップの重責を担った。更に、OECD副事務総長として、経済・社会・厚生・開発などの諸問題に関するOECDの横断的作業を統括した。金融経済政策に関する国際的な貢献に鑑み、ベルギー国王の名において名誉経済学博士の学位を授与された。群馬県出身。群馬県前橋市生まれ。群馬県立前橋高等学校を経て、1958年に東京大学に入学。教養学部で全学トップの成績を修めたあと、法学部内にある穂積奨学財団が同学年で最優秀な学生一人に限って与える奨学金を得て法律学を専攻するとともに、木村健康から経済原論、館龍一郎から金融論、堀江薫雄から国際金融論を学んだ。1962年、東京大学法学部卒業後日本銀行に入行。フランス銀行業務研修のための一年間のフランス滞在をはさんで調査局に勤務した後、企画局、外国局など政策畑を歩んだ。この間、中央銀行の中央銀行とも言われる国際決済銀行(BIS)における銀行規制監督委員会の日本銀行代表を長らく務めたほか、国際通貨基金(IMF)、世界銀行(IBRD)、アジア開発銀行(ADB)などの会合にも参加した。その後、日本銀行長崎支店長および考査役の役職を経て、金融研究所長を務めた(1989 - 92年)。また、経済協力開発機構(OECD)パリ本部に、1970年以降、4度に亘って勤務し、経済総局の主流を一貫して歩んだ。一度目の勤務(1970-74年)では、金融調査課のエコノミスト、シニア・エコノミストを経て、1972年に金融調査課長に昇進した(日本人職員として課長職以上に就いたのは初)。二度目の勤務(1980-82年)では、日本人で初めて一般経済局(後に政策調査局と改称)次長となり、三度目の勤務(1987-89年)で一般経済局(のちの政策調査局)長に就任した。四度目の勤務(1992-99年)では、経済畑における最高ポストである経済総局長兼チーフ・エコノミストに英語圏外出身者として初めて就任した。OECD経済展望(エコノミック・アウトルック)の作成作業の統括に加えて、OECD経済政策委員会や第三作業部会(主要国財務次官・中央銀行副総裁クラスが参加し財政・金融・為替相場政策などを審議するグループ)などを取り仕切ったほか、主要国中央銀行の金融政策担当理事ないし局長を集めたOECD高級専門家グループの議長を務めた。IMFなど他の国際機関や10カ国グループ(G10)などの次官級会合にもOECD代表として出席した。1997年には、副事務総長(Deputy Secretary-General)となり、OECD加盟国の経済・社会・厚生・開発などの諸問題に関するOECDの各部局を越えた横断的作業を統括した。OECDを代表して中国、ロシアなど非加盟諸国の主要閣僚、中央銀行総裁などとの協議にあたり、また、10カ国グループ(G10)や20カ国グループ(G20)などの閣僚級会合に参加した。現在は国際経済政策研究協会(本拠パリ)の会長であり、日本国内外において金融経済問題に関する講演・論文執筆活動に従事している。ベルギー国立リエージュ大学名誉経済学博士 同大学の名誉博士号は、ベルギーの女王エリザベート(1919)のほか、フランスの医学者パスツール(1893)、首相クレマンソー(1919)、首相ポアンカレー(1924)、大統領ド・ゴール(1945)、大統領ミッテラン(1992)、米国の大統領ルーズヴェルト(1945)、英国の首相チャーチル(1945)、ドイツの首相ヘルムート・コール(1999)などに対して、日本人では重原(1998)についで、大江健三郎(2000)に対して授与されている(括弧内は授与の年)。書物論文
出典:wikipedia
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