ツルマルツヨシとは日本中央競馬会 (JRA) に登録されていた競走馬である。競走馬時代のおもな勝ち鞍は1999年の朝日チャレンジカップと京都大賞典。引退後には京都競馬場で誘導馬となった。1998年に京都競馬場の4歳未勝利戦でデビューし、初戦にて勝利を挙げる。その後は体質の弱さもあり、出走しては休養というローテーションを繰り返していたが、5歳(旧表記)となった1999年夏から順調にレースをこなすようになり、秋には朝日チャレンジカップに優勝し重賞優勝馬となる。次に出走した京都大賞典では、メジロブライト、テイエムオペラオー、ステイゴールド、スペシャルウィークといった強豪馬を抑えて優勝。秋の天皇賞では単勝2番人気に支持されるなど、GI路線の中心馬の1頭となったが、同年の第44回有馬記念4着のあとに骨瘤を発症し、ふたたび長期休養に入った。2000年秋の復帰後は目立った結果を残せず、2年連続の出走となった有馬記念において最後の直線走路で競走を中止。左前脚の繋靭帯を断裂しており競走能力喪失と診断され、競走馬引退が決まった。種牡馬入りは見送られ、宮崎保養センターで静養したあと、京都競馬場の誘導馬に転向するために訓練と去勢手術を受けた。2002年、第5回京都競馬開催日から誘導馬としてデビューし活動していたが、脚部の状態が悪化したため、2007年第4回京都開催終了とともに引退した。以後は引退名馬けい養展示事業の助成を受けて、宮崎県内の乗馬クラブで余生を過ごしている。2012年現在は、現役当時の担当厩務員らにより設立された「ツルマルツヨシの会」が支援を行っている。伯母にアメリカG1メイトロンステークスなどの優勝馬フォールアスペンがおり、その産駒(ツルマルツヨシの従兄姉)に1994年のエクリプス賞チャンピオン2歳牡馬ティンバーカントリーや、フランスG2ポモーネ賞の優勝馬でドバイミレニアムの母となったコロラドダンサーなど、多くの活躍馬がいる。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。