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海軍戦術情報システム

海軍戦術情報システム (Naval Tactical Data System: NTDS)は、アメリカ海軍のC4Iシステムのひとつ。戦術情報処理装置、およびそのデータ・リンク・ネットワークによって構成される"情報システム"である。太平洋戦争の末期において日本軍が実施した特別攻撃により、アメリカ海軍は重大な試練に直面することになった。このとき、アメリカ艦隊の防空システムはおおむね良好に働いたとはいえ、その対処能力は飽和寸前であり、より高速の機体が同様の攻撃をかけてきた場合、システムの破綻は不可避と考えられた。しかもジェット機の登場により、航空機の速度は戦後5年で倍増し、なお急速に増加しつづけていた。これに対処するため、アメリカ海軍は対空砲の性能向上を図るとともに、より長射程の対空攻撃手段として艦対空ミサイルの開発に着手し、その成果はいわゆるターター、テリア、タロスの「3Tファミリー」として結実した。その一方、攻撃手段に対して指令をあたえる「頭」の情報処理能力の向上も求められていた。特攻機の迎撃にあたって、もっとも限界に近づいていたのは、攻撃能力というよりむしろ情報処理能力だったため、これは極めて重大な問題だった。アメリカ軍は太平洋戦争中、情報を統合処理する戦闘情報センター (CIC)という画期的なコンセプトを導入していた。しかし、1948年に行われたイギリス海軍のシミュレーションで、これをもってしても、多数の経空脅威との交戦にはなお不足であることが明らかになった。このときには、熟練のオペレーターを配したにもかかわらず、同時に処理できる目標はせいぜい12機程度が限界で、20機の目標に対しては、完全に破綻してしまったのである。「紙と人と声」に頼っているかぎり、これ以上の対応速度の向上は困難であり、情報の処理に自動化を導入する必要性は明らかであった。まず、「3Tファミリー」の艦対空ミサイルに付随して、その射撃管制を補助する武器管制システム (WDS)が開発された。これは、目標の情報 (三次元的な位置や速度、脅威度など)を記憶・管理し、その射撃を効率化するもので、当時主流だったアナログコンピュータを使用していた。その後、より総合的な情報処理装置の開発が開始され、1951年にイギリス海軍が、1953年にはアメリカ海軍が実用化に成功した。しかしこのときには、未熟ながらもデジタル・コンピュータの有用性が明らかになっており、実際、アメリカ空軍はデジタル・コンピュータを使用した半自動式防空管制組織 (SAGE)の開発に成功していた。SAGEは真空管を使用しており、非常に大掛かりなシステムであったが、このころに出現しつつあったトランジスタを使用することによって、これをより小型化し、洋上での運用を実現できる可能性があった。これを受けて、1954年より開始されたのがランプライト計画である。この計画では、各艦が同様の情報処理システムをもち、これらをデータリンクによって連接することで、艦隊全体の防空を統合することが構想された。開発はアメリカ海軍およびによって行なわれ、計画は1955年に海軍戦術情報処理システム (NTDS) と改称されて、翌1956年には海軍作戦部長の承認を受けた。1961年より、空母「オリスカニー」(CP-642×3基搭載)およびミサイル嚮導駆逐艦(DLG)「キング」,「マハン」(CP-642×2基搭載)の3隻において評価試験を実施したうえで、1963年に制式化された。NTDSは、コンピュータを本格的にCICに持ち込むという革新的なものではあったが、探知情報の入力や目標割り当てはマニュアル式で、依然として人間の作業量は多かった。期待されたほど自動化は進まなかったために、艦隊での評判は必ずしもはかばかしいものではなかった。しかし、ベトナム戦争における北爆で、E-2の空中戦術情報システム (Airborne Tactical Data System, ATDS)と連接されたNTDSは、攻撃機の管制において多大な効果があり、これを契機にNTDSの整備が急速に進展した。また使用されるソフトウェアの開発も進められ、当初は対空戦に限られていた機能も、のちには対潜戦、対水上戦にも対応するように発展した。NTDSのコンセプトは、以下の二点である。各艦のレベルでの統合の中核となるのが、コンピュータ・システムすなわち戦術情報処理装置である。SAGEで使われたコンピュータ・システムでは、稼動側とバックアップ側を交互に運用していたが、艦の限られた容積のなかで最大限の能力を実現するため、ランプライト計画では24時間の動作が求められることになった。また、様々な大きさや装備をもつ各艦において、それぞれ最適なシステムを提供するため、まったく共通なコンピュータをもとに、そこに組み込むユニットの数によって能力が決定されるというシステムが考案された。このコンピュータ・システムとしては、陸上試験時のAN/USQ-17を発展させたAN/USQ-20が採用された。その中核となるコンピュータは30ビットのCP-642で、これはその後CP-642A、CP-642Bとアップグレードされた。その後、1976年に就役したバージニア級原子力ミサイル巡洋艦より、大型のAN/UYK-7と小型のAN/UYK-20という組み合わせに換装された。これは、さらにAN/UYK-43 (32ビット) とAN/UYK-44 (16ビット) の組み合わせに更新されたのち、COTS化されるとともに性能も向上したAN/UYQ-70による分散処理方式へ移行しつつある。これらの戦術情報処理装置は当初、単にNTDSと呼ばれていたが、のちにCDS (Combat Direction System)と呼ばれるようになった。また、小型艦向けに簡易化されたシステムも開発され、チャールズ・F・アダムズ級ミサイル駆逐艦の搭載システムは"JPTDS"(Junior Participating Tactical Data System)、オリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲートの搭載システムは"JTDS" (Junior Tactical Data System)と呼ばれている。NTDSでは、現在までに6つのモデルのソフトウェアがリリースされている。なお、このソフトウェアのモデル・ナンバーは、イージスシステムや艦艇自衛システムにおいても統一した番号が付与される。NTDSのネットワークにおいて、艦隊内での情報共有に用いられるデータリンクとしては、コリンズ社の開発したAリンク(のちのリンク11)が採用された。これは主として、各艦の戦術情報処理装置の間でデータを交換し、共通戦術状況図(CTP)を生成するためのものであり、ネットワークを構成する各艦のうち1隻が通信ネット管制艦 (NCS: Net Control Station)となって、他の艦 (NPS: Net Picket Station)の通信を管制する。その使用周波数としては、当初はUHF帯が計画されていたが、核攻撃を考慮した艦隊陣形の変化を受けて、水平線越えの通信も可能なHF帯が追加された。高速回線網とされているが、1961年に実用化されたとあって、その伝送能力は、HF/UHF使用時で1364 bps、UHF使用時で2250 bpsにすぎない。ネットワークに参加できる艦も、通常は20程度、最大でも62である。また、NTDSを搭載していない艦にデータを送るためのリンク14も用意された。これは、NTDS艦の戦術情報をラジオテレタイプによって受信させるもので、使用周波数はHF、UHFまたはVHF帯である。その伝送方式は、HFではFSK伝送、UHFではトーン・キーイング伝送である。先進戦闘指揮システム(: ACDS)は、NTDSのCDSの改良・発展型として開発された。その開発は2つのフェーズに従って行われた。ブロック0はNTDSのコンピュータやディスプレイ、そのプログラムを改良するとともにAN/SLQ-32電子戦装置と連接したもので、暫定的な改良策である。ブロック1はより本格的なもので、性能の全般的な向上に加えて共同交戦能力(CEC)と統合戦術情報伝達システム(JTIDS)に対応し、AN/SYQ-20として制式化された。ブロック1は1996会計年度より配備されたものの、性能面と信頼性に問題があったため、艦隊への全面的な配備は断念された。このことから、揚陸艦向けに開発されていたSSDS Mk.1を発展させて、ACDSの機能を包括して代替することとなった。これによって開発されたSSDS Mk.2は、揚陸艦に加えて航空母艦にも導入された。なお、ACDS、SSDSではAN/UYQ-70による分散処理方式を導入しているが、イージスシステムにおいてもAN/UYQ-70の採用が進んでおり、ACDS, SSDSの導入によって、艦隊からは従来のUYK-43/UYK-44コンピュータは消滅することになる。NTDSは、その構成要素である戦術情報処理装置、データ・リンクのいずれもが西側陣営において標準となっており、これに準拠した機種が各国で導入された。日本のOYQシリーズ、ドイツのSATIR、フランスのSENIT、オランダのSEWACOなどがそれである。また、イギリスのADAWSやSSCSといった各種戦術情報処理装置は独自に開発されたものだが、NTDSのデータリンク・ネットワークに接続することができる。

出典:wikipedia

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