岩松 義雄(いわまつ よしお、1886年5月3日 - 1958年4月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧尾張藩士・岩松義行の長男として生れる。愛知一中、名古屋陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1905年3月、陸軍士官学校(17期)を卒業、翌月、陸軍少尉に任官し歩兵第10連隊付となる。1918年11月、陸軍大学校(30期)を卒業した。歩兵第61連隊中隊長、参謀本部付勤務、参謀本部付(支那駐在)、参謀本部員(支那課)、参謀本部付(上海駐在)、参謀本部員、欧州出張、台湾歩兵第1連隊付、台湾歩兵第2連隊長、第5師団参謀長、参謀本部支那課長、参謀本部付(南京駐在)などを経て、1934年3月、陸軍少将に進級する。歩兵第21旅団長、台湾守備隊司令官などを歴任し、1937年8月、陸軍中将となった。第1独立守備隊司令官を経て、第15師団長として中国で転戦。中部防衛司令官、中部軍司令官を経て、第1軍司令官として中国で活動した。1942年8月1日には軍事参議官となり、同年12月、予備役に編入され、翌年12月、新民会最高顧問に就任した。
出典:wikipedia
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