絵画的練習曲《音の絵》()は、セルゲイ・ラフマニノフのピアノ独奏曲集。別々の時期に発表された、作品33と作品39の2巻から成る。「絵画的な小品集」として構想されたが、ラフマニノフは各曲が示唆する情景を公開せず、「私は、自分のイメージをあまりにひけらかすような芸術家を信用しない。誰でも、音楽から連想したものを自由に描き出せばよい」と述べている。作品39については、部分的に《ピアノ協奏曲 第4番》に転用された楽曲が含まれていることが知られているが、作品33の場合は旧作と共通する楽想が随所に認められる。1911年の作曲。初版は1914年にライプツィヒにおいてグートヘイル社によって行われたが、各曲は分冊されて出版された。広告から、当初は以下の9曲を含む予定であったことが知られている。全体的に超絶的な技巧を必要とするエチュード。しかし実際に出版されたのは、第1曲、第2曲、第6曲、第7曲、第8曲、第9曲の計6曲のみであった。第4番は作品33に収録することを見合わせて、後に作品39の第6曲として発表されたため、事実上の欠番となっている。第3曲と第5曲は発表禁止とされたが、作曲者死後の1947年にロシアで発見され、1948年にモスクワ国営出版局より出版された。作品33の初の全曲出版は、1969年にブージー&ホークス社によって行われ、曲順も元に戻された。実質的に、ラフマニノフがロシア時代に完成させた最後の曲集である。1920年にベルリンにおいて、クーセヴィツキー夫妻が経営するロシア音楽出版(Edition Russe de Musique)により刊行された。作品39の楽曲も個別に分冊されて出版されており、合本による全曲出版は1969年のブージー&ホークス社版まで出なかった。ラフマニノフに特有な、高貴なメランコリーとノスタルジーを湛えた叙情的な旋律は、第5曲を除いて現れず、リズム的な練習曲に終始するものや、トッカータ的な曲想を持つもの、ムソルグスキーやプロコフィエフのグロテスクな表現に近づいたものが中心となっている。ベックリンの絵画が作曲に影響を与えたという説もある。有名な第6曲は、とりわけ中間部がバルトークの《アレグロ・バルバロ》に近づいているのも興味深い。全体的に超絶的な技巧を必要とするエチュード。クーセヴィツキーは『展覧会の絵』のラヴェル編曲版の成功にならい、続いて『音の絵』の管弦楽編曲を着想した。1929年にラフマニノフにこれを持ちかけたところ、ラフマニノフも乗り気になり、作品39から第2、7、6、9曲と作品33から第7曲の5曲を選び、編曲を手がけることになったレスピーギに各曲のイメージ(上述)を伝えた。レスピーギは原曲の構成だけでなく調も変更せず、8種類の打楽器の加わる三管編成のオーケストラのための管弦楽編曲を行った。この編曲版「5つの《音の絵》」は1931年11月、クーセヴィツキーによりボストンで初演されたが、『展覧会の絵』ほどの人気を得ることはなく、ラフマニノフも出来ばえに不満を漏らしたと伝えられている。しかし、近年では再評価もされている。
出典:wikipedia
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