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征矢学

征矢 学(そや まなぶ、1984年12月23日 - )は、WRESTLE-1所属の男性プロレスラーである。長野県上伊那郡箕輪町出身。身長180cm、体重112kg。坂口道場出身。弟は元全日本プロレス所属の征矢匠。坂口道場で体を鍛え、坂口征二の推薦で無我ワールド・プロレスリング(現:ドラディション)に入門。2007年4月11日、無我ワールド後楽園大会で対竹村豪氏でデビュー。当時の無我生え抜き第1号であり周囲からは“藤波二世”と呼ばれていた。10月18日の後楽園大会では吉江豊と組み、ZERO1-MAXの佐々木義人&崔領二組を相手に敗れはしたが、大健闘を魅せる。試合後吉江は『今日の征矢を見て無我の未来が見えた』と語っていた。後楽園大会の翌日、10月19日に、西村修と共に全日本プロレスへ電撃移籍を発表した。11月23日の後楽園大会にて対近藤修司戦で全日本デビュー。2008年1月2日の後楽園大会で駿河一との一戦で初勝利を挙げる。全日本プロレスにTAKEMURAが襲撃してきた時は、相手を自分が努める事を強く望み、2月17日にシングルマッチが実現した。が、一歩及ばず敗れてしまう。4月頃からは諏訪魔のタッグパートナーとしてメイン、セミの試合に出場することが多く、デビュー当初の試合数の少なさをカバーされている。4月7日、VOODOO-MURDERSとの8人タッグ戦にて、場外フェンスの扉の部分が勢いで自分に跳ね返り顔面を直撃。歯を3本失う。(現在はちゃんと歯を入れている。)6月10日、武藤祭にてよくタッグを組む諏訪魔と、同じく若手の真田、T28と共に3人掛けマッチで対戦。3番手として戦い、奮闘するも三冠王者の壁は崩せず破れる。6月22日、後楽園ホールで元WWE史上最年少世界タッグ王者でVMの新メンバーレネ・デュプリーとシングルでの対戦が決定したが完敗に終わる。11・3両国大会では、新技のパワプロブースターで真田聖也を下す。その試合後、年末の世界最強タッグ決定リーグ戦に真田と出場することをアピール。真田にも呼びかけ、真田は呼応した。最強タッグ最終戦のドーリング、ゾディアック組とは不戦勝に終わり、悔しさを露にした。そして真田と同様、ドーリング組との再戦を熱望。新春シャイニングシリーズの最終戦でタッグマッチが決定。完敗を喫するも、これを期に上昇を誓った。2009年、チャンピオンカーニバル出場を賭けて相棒の真田とシングルで対決するも敗北。しかしチャンピオンカーニバルの出場権を得られなかったことよりも、お互いが納得出来る試合内容ではなかったということで真田と共に大いに悔しがった。そのチャンピオンカーニバルでは相棒の真田を全面的にサポートしセコンドを買って出たが、カーニバルでは真田の全敗という結果に終わった。5月17日、相棒の真田をパートナーにF4の大和ヒロシとKAIとタッグで対戦。若手同士の熱戦を展開し、最後は征矢の垂直落下式デスバレーボムで勝利。この試合を見た武藤敬司から「俺達には出来ないような可能性を見た。」と高評価を受けた。8月22日に、西村修をパートナーにしてアジアタッグ王座に挑戦するが、NOSAWA論外に完敗。8月30日両国大会では、以前から対長州力のパートナーを懇願していた為、西村との思想の相違から仲間割れ。離別し、今度は長州イズムを学ぶかのような行動(長州力に弟子入り志願)を取り始め世界最強タッグリーグ戦も長州と組んで出場し、トータル8点という好成績を残す。その後は新世代の一人として諏訪魔、河野、浜、そしてライバルの真田と共に切磋琢磨していたが、新世代のメンバーやジュニアのKAIや大和達若手が活躍していたのに対して実績を残せていないことに焦りを感じスランプに陥る。そして1月から海外修行に出ることを発表し、海外武者修行に出る。2010年、7月25日に凱旋帰国し新世代軍に合流。かつての盟友真田とアジアタッグに挑戦することが決まった。8月15日凱旋試合では西村修と対戦。鍛え抜かれた見事な肉体を披露し、パワーファイトで西村を攻め立てるも観客から「成長が見えないぞ」などと野次が飛び、最終的には西村が手を後ろに回して弟子のチョップを受け切るという展開に発展。最後は必殺のブレーンバスターで勝利を得て勝ち誇るも完全に師匠の胸を借りての勝利だった。8月29日、両国大会でアジアタッグ王座奪取に成功。自身初となるベルト獲得となった。2010年9月10日、同じ新世代軍のメンバーである諏訪魔・河野組との試合において、少しの不甲斐無さに野次が飛ぶという現象が発生。この試合後、征矢は『新世代軍のメンバーとは組むよりも闘って行きたい』と事実上のユニット解散を要求。それに諏訪魔、河野、真田も同調し解散した。以後は、真田とのタッグチーム『es』として活動。台湾興行で挑戦者の河野、稔組を下し一度目の防衛に成功したが、暮れの最強タッグ公式戦で、ワイルドカードの菊地毅・本田多聞組に惨敗し、優勝を逃す。その事で征矢は菊地がトラウマになったと語っていたが、年明けの2011年1月3日に王座戦が組まれ、十八番のパーフェクトデスバレーボムで王座を守ると同時に、トラウマを払拭した。また、実弟の征矢匠のデビュー戦の相手もつとめ、『しょうがないからデビューおめでとうと言っといてやる』と、弟のデビューを喜んだ。2011年3月、両国大会にて、関本大介、岡林裕二に敗れ、アジアタッグ王座を流出させてしまう。征矢はその責任を負うが、真田がチャンピオン・カーニバルに3年連続で出場するも、自分はエントリーされないという事態に。そのジェラシーからか、esとしての活動を一時休止し、浜亮太を相棒に、敵地大日本プロレスに出陣するも、惜しくも王座奪還ならず。そして、真田へのジェラシーが爆発し、4月30日ディファ有明大会でシングルマッチで激突。敗れたものの、esを復活し、そして6月19日の両国大会で見事、アジアタッグ王座を奪還する。6月19日、関本、岡林組に破れ再びアジアタッグ王座を流出させてしまい、esの活動を休止した。11月19日、大森隆男とのタッグチーム「GET WILD」を結成。その年の最強タッグでは5勝4敗の10点と好成績を残す。その後はバックステージでの、真顔で大ボケを連発する征矢とそれに翻弄されキレ気味に突っ込む大森のコントの様なやりとりが定番化。今までいくらプッシュされても迷走を繰り返していた征矢だったが、ようやくこのワイルドキャラでブレイクを果たした。2012年2月19日に開催されたALL TOGETHER第2回仙台大会において、真壁刀義とタッグを組み、杉浦貴・高橋裕二郎組と対戦。征矢が杉浦からフォールを奪われ敗れたものの、試合後に真壁から「コイツ、パワー負けも何もしてねえ。しいて言えば、経験くれえだろ。これから経験つうのは埋まっていくんだよ。1年後が怖ええな!」と、高評価を受けた。3月20日両国大会にてAAAのダーク・オズ・ダーク・クエルボ組が持っていた世界タッグ王座を奪取したが、5月6日の試合で真田にドラゴンスリーパーでギブアップ負け。その後、対真田&ドーリング組で5月20日に行われた世界タッグ初防衛戦でも、真田にピンフォール負けを喫し、世界タッグから陥落した。2012年5月27日の後楽園ホール大会で匠と初の兄弟タッグを結成するも、試合後匠が引退を表明したため、最初で最後の兄弟タッグとなった。6月17日後楽園ホール大会で世界タッグ王座のリベンジマッチを行い、ワイルドボンバーで真田からピンフォール勝ち。世界タッグ王座の奪還に成功した。世界タッグ王座を3回防衛後、10月30日に返上することを発表。1994年までの慣例にのっとり、世界最強タッグ決定リーグ戦の優勝チームが王者となることとしたが、優勝決定戦で諏訪魔・ジョー・ドーリングを破り引き続き戴冠することとなった。2013年1月2日の大日本プロレス後楽園ホール大会では、佐々木義人をワイルドボンバーで下し、BJW認定世界ストロングヘビー級王座も獲得した。3月1日の大日本プロレス後楽園ホール大会で関本大介に敗れ、BJW認定世界ストロングヘビー級王座から陥落。3月17日の両国国技館大会で秋山準&潮崎豪組に敗れ、世界タッグ王座から陥落。試合終了後、以前から首および目を痛め、危険な状態であった事と、その治療のため長期休養を発表。2013年12月、31日付けで全日本プロレスとの契約を終了し退団することを発表した。記者会見では翌年2月にフリーとして復帰する予定(復帰団体はないが征矢自身は上がりたい団体があるという)。2014年1月12日、WRESTLE-1のマッチメーカーに就任。東京スポーツからは「不毛なマッチメーカー」と呼ばれている。2月26日の大日本プロレス新宿FACE大会でフリーランス初試合として神谷ヒデヨシとシングル。その後もストロングBJの高い壁となっている。W-1ではマッチメーカー兼フリー選手としてリングに上がっていたが、マッチメーカーとしてKAIをエースと認めない征矢と、エースを自称するKAIの因縁が発生。5月4日TDCホール大会のメインでKAIに敗れ、征矢はリベンジを要求するも5月25日神戸大会での再戦にも敗れたことによってマッチメーカーを追放された。7月、W-1王座設立に伴うトーナメントに参加すべく(所属のみ参加できる)、入団を武藤に直訴したが断られた。その後もしつこく所属を要求する。また船木にはしつこすぎるあまりハイキックを決められてしまう。8月8日付でW-1正式入団を果たす。2016年9月18日、欠場から復帰を宣言。復帰戦の相手として大森隆男を指名。翌日の全日本プロレス後楽園ホール大会で大森に直訴しに来場するも大森はすぐに対戦できる旨を明かさなかった。のちに対戦が決定。10月9日、大森と対戦するも敗北。しかし、大森からGET WILDの復活を呼び掛けられる。デビュー当初は柔道出身ならではの柔道技を前面に押し出すファイトを展開していたが、現在はそれに加えてがっしりした体格を駆使したパワーファイトを得意としている。

出典:wikipedia

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