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昇侍

昇侍(しょうじ、1983年4月24日 - )は、日本の男性総合格闘家。本名は丸山 昌治(まるやま しょうじ)。三重県名張市出身。KIBAマーシャルアーツクラブ所属。元ライト級キング・オブ・パンクラシスト。24歳にして初代ライト級キング・オブ・パンクラシストとなった。日本人離れした打撃のセンスを持ち、衝撃的なKO勝利を収めてきた。2006年10月1日には、総合格闘技史上最速である試合開始3秒でのKO勝利という記録を作った。少年時代の夢はプロ野球の選手であり、日本航空高等学校でも野球部に所属。3年時に甲子園(第83回全国高等学校野球選手権大会)に出場するも、自身に出場機会はなかった。卒業後、プロ入りを諦め航空自衛隊に入隊。同時にシュートボクセ・アカデミー・ジャパンで格闘技に打ち込む中で当時のコーチであるセルジオ・クーニャにスカウトされ、プロ格闘家を目指す。クーニャ脱退後はKIBAマーシャルアーツクラブへ移籍。2006年2月19日、パンクラスで格闘家デビュー。ネオブラッド・トーナメントに出場。予選1回戦を勝ち抜くも、準決勝を棄権した。2006年7月30日、リングネームを昇侍に変更しDEMOLITIONに参戦、中条実にバスターでKO勝ち。2006年10月1日、パンクラスで宮崎裕治と対戦。試合開始直後に跳び膝蹴りをヒットさせ試合開始3秒でKO勝ち。山本"KID"徳郁の持つ4秒の記録を超え世界最速KO勝利記録を作った。2007年3月18日、パンクラスで星野勇二と対戦し、0-3の判定負け。2007年7月27日、パンクラスでジョゼ・アルドと対戦し、0-3の判定負け。2007年12月22日、パンクラスで伊藤崇文と対戦し、3-0の判定勝ち。2008年1月30日、ライト級キング・オブ・パンクラス決定戦でアルトゥール・ウマハノフと対戦し、左ハイキックからのパウンドでKO勝ちを収め王座獲得に成功した。2008年4月27日、パンクラスism道場長に就任した大石幸史と対戦し、0-1の判定ドロー。試合の3日前に右足靭帯を部分断裂し全治1か月と診断されたものの、麻酔を打って試合を行なった。2008年5月11日、DREAM初参戦となったDREAM.3で山崎剛と対戦し、0-3の判定負け。この試合は、DREAM初のフェザー級マッチとなった。2008年7月8日、フェザー級に転向するためパンクラスライト級王座を返上した。2008年12月10日、DEEP初参戦となったDEEP 39 IMPACTで大塚隆史と対戦し、0-3の判定負けを喫した。2009年2月10日、新春! DEEP&CMAファン感謝祭2009でDREAMフェザー級(-63kg)グランプリへの出場権を賭け元同門のDJ.taikiと対戦、0-3の判定負けを喫した。2009年7月26日、初参戦となったR.I.S.E.で裕樹と対戦し、KO負けを喫した。2009年10月4日、RISE 59の初代RISE 65kg級王者決定戦・準決勝で吉本光志と対戦し、0-3の判定負けを喫した。その後、怪我によりブランクを作った。2010年10月24日、1年ぶりの試合・1年8か月ぶりの総合格闘技復帰戦となったDEEP 50 IMPACTでジョン・ジンソと対戦し、パウンドでTKO勝ちを収めた。当初は長倉立尚と対戦予定であったが、長倉が左アキレス腱断裂により欠場したため対戦相手が変更された。2010年12月11日、DEEP 51 IMPACTのメインイベントで松本晃市郎と対戦し、パンチラッシュでTKO負け。総合格闘技ルールでは自身初のKO負けとなった。2011年2月25日、DEEP 52 IMPACTで加藤友弥と対戦し、パンチの撃ち合いの中で加藤の右目尻をカットさせドクターストップによるTKO勝ちを収めた。2011年6月24日、DEEP 54 IMPACTで横田一則と対戦し、0-3の判定負けを喫した。2013年2月16日、DEEP 61 IMPACTのフェザー級タイトルマッチで横田一則と再戦し、0-5の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。

出典:wikipedia

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