土居 龍太郎(どい りょうたろう、1981年1月11日 - )は、高知県吾川郡春野町(現:高知市)出身の元プロ野球選手(投手)。からの登録名は龍太郎。高知高校時代は高知商業高校の藤川球児、明徳義塾高校の寺本四郎と並んで“高知三羽烏”と称されるも、3年夏に寺本擁する明徳義塾高校に高知大会決勝で敗れるなど、甲子園出場は果たせなかった。法政大学に進んでからは同じリーグに和田毅(早大)、多田野数人(立大)、長田秀一郎(慶大)らがいる中で大学通算24勝。なおこの4人は「BIG4」と呼ばれ、それぞれ2年生時からエースとして活躍した。4年春の早大1回戦では和田と延長12回を投げぬき、鳥谷敬、青木宣親、田中浩康らを要する早大打線を相手に0-0の引き分けとなるなど、「和田に負けない土居」の異名もとった。ドラフトで横浜の多田野指名見送りに伴い、繰り上がりのような形で自由獲得枠で横浜に入団。ルーキーイヤーのは、4月20日の甲子園での阪神戦でプロ初登板し、金本、濱中、桧山と続く阪神のクリーンアップを三者凡退に打ち取った。その後はサヨナラ押し出しを献上するなど精彩を欠いたが、2年目のシーズンに腕を若干下げるフォームに変更し、初先発も経験しある程度の結果を残した。シーズン開幕後、「りょうたろう」という名前の読みを覚えてもらいたいという理由で登録名を「龍太郎」に変更。5月26日の対福岡ソフトバンク3回戦では7回途中2失点の好投で初勝利をあげる。4月27日、山北茂利との交換トレードで、南竜介と共に千葉ロッテマリーンズへ移籍。移籍後も登録名は「龍太郎」のままプレーをした。にロッテでは一軍出場が無いまま戦力外通告を受ける。その後12球団合同トライアウトに参加するがオファーはなく現役を引退。現在は、住友不動産販売の営業に就いている。
出典:wikipedia
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