萩原 舞(はぎわら まい、1982年3月22日 - )は、日本のヌードモデル・AV女優。人気お菓子系アイドル出身者として知られる。ハロー!プロジェクトのアイドル萩原舞と同姓同名であるが、全くの別人。中学卒業間近の1997年1月、渡辺 紗希(わたなべ さき、渡邊 紗希)名義でテレビ東京のオーディション番組『ASAYAN』に出演し、東京で行われたヴォーカリストオーディションにてMY LITTLE LOVER「NOW AND THEN 〜失われた時を求めて〜」を歌唱。最終選考にまで残るが、結果は「MAX松浦の判断で該当者なし」となり、デビューには繋がらなかった。この結果に、本人は「納得いきません」と話している。一旦は芸能への道を絶たれた形となったが、その後、路上スカウトによりグラビアモデルとしての活動を決意。お菓子系雑誌『クリーム』1997年8月号でグラビアデビューを飾った。なお、このときスカウトを行った人物である千堂絵美(後の清水かおり)は、以後萩原舞のマネージャー業務を担当したが、スカウト当時は自らお菓子系アイドルとしても活動していた異色の存在であった。萩原舞本人は、現役モデルによるスカウトであったことが仕事を受諾した一因と話している。デビュー最初期はこの千堂マネージャーによって与えられた久保 くるみ(くぼ くるみ)名義で誌面に登場していたが、この芸名を「変だからヤダ」と感じた本人は自ら萩原 舞名義を考案し、改名。ファースト写真集で下着越しの陰毛を披露する等、当初から露出には比較的寛容な態度を見せ、春田萌(後の北島優)などと並びお菓子系の人気モデルの一人となった。しかし実際の収入は少なく、生活費を稼ぐためにグラビアでの仕事と並行してコンビニでアルバイトしていることを公言していた。2000年、18歳の誕生日当日に初のヘアヌードグラビアを撮影。『WOoooo!B組』2000年5月号水着グラビアのインタビュー欄にて、本人が「初ヌード」と言及したのがヌードに関する初の公式発表である。東京で行われた初のヌード撮影会には発表直後に予約が殺到した。その後数年間で数多くの写真集やイメージビデオを出版するなどヌードモデルとして活動した。ヌードになった経緯や心情については、必ずしも一貫した説明はなされていない。ヌード騒動当時、インターネット上のファンコミュニティにて本人は「水着の次は下着、下着の次はセミヌード、セミヌードの次はヌードと流れが出来ていて、この業界に居るには脱ぐしか無くなってしまった」と語っている。一方、別の機会には「水着や下着の頃は貧乏で、前から18歳になったら収入の多いヌードモデルになるつもりだった」と発言したこともある。また、それと同時に近い時期のアダルトビデオ出演を決心しており、その決意の程を明かしていたが、その後は幾度となく態度を変え、AVデビュー直前になっての出奔や芸能活動引退表明直後の復帰など、長らく逡巡が見られた。2003年9月30日、バウハウスの専属契約が終了。当時の公式ウェブサイト「マイチィドットネット」も同日付で閉鎖された。2003年11月、ジャパンホームビデオ専属女優としてのAVデビューが発表され、2004年2月にデビュー作『夢より星より太陽より』が発売された。このAVデビューにあたっては萩原舞専用の「みるくる」レーベルが用意され、出演料は一作400万円と異例の厚遇となった。この時期の出演作、は男優との本番行為はおろかキスさえも実際には行っておらず、一般映画の「ベッドシーン」に近い手法が取られて、近年の日本では珍しい徹底的なソフトコアAV路線には賛否が分かれた。また、デビューの決断が遅れた事から当時21歳と年齢的には若干のハンディキャップを負っていたが、セールス面ではヌード同様に成功を果たした。AVデビューと同時期に競泳選手の北島康介との交際が写真週刊誌によって報じられたことも話題作りに一役買ったとされる。「みるくる」レーベルは3作で実質終了となり、半年後の2004年11月からは通常レーベルであるアリスJAPANに移籍。2006年まで新作が継続的にリリースされた。この時期にはキスやフェラチオは実際の行為が行われるようになったが性交はいまだ例外で、後の本人による回想によれば全作を擬似で撮影したという。2008年7月、雑誌紙面上と本人ブログにて久々のAV復帰を宣言。ここへきてようやく、芸能活動11年目・26歳にして初となる本番挿入を行っており、9月リリースの復帰第1作での本番は大島丈との1回のみながら「本番解禁」が最大の呼び物とされた。この復帰作のメーカーであるマキシングとは3作契約とされていたが、実際の新作は10月リリースの2作目で途切れている。2009年8月に上記2作の総集編がリリースされたが、総集編リリース時には本人が「今後も発売するものもない」と明言、3作目の所在は不明のままとなった。2009年10月31日に当時の公式サイト「マイチィ・ウェブ」が閉鎖、同サイトの最終更新時に告知された「お知らせブログ」もほどなくして閉鎖された。※以下は、18禁サイト
出典:wikipedia
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