


芭蕉の辻(ばしょうのつじ)は、江戸時代に仙台城下町の中心であった十字路である。現在の仙台市青葉区に位置し()、宮城県の道路元標(里程元標)が設置されている。仙台城の城下町は、大手門からの大手筋(大町の街路)とこれに直交する奥州街道(国分町の街路)を基準に町割がなされ、大町・国分町の両町は城下の経済の中心地、いわゆる目抜き通りとなった。現在の芭蕉の辻は、日本銀行仙台支店()、七十七銀行芭蕉の辻支店(旧・第3代本店、)などがこの十字路に面し、金融街としての性格を残してはいるものの、旧大手筋にあたる中央通りのアーケードは国分町通りの一本東を南北に通る東一番丁までで止まっているなど、商業的な中心からは外れてしまっている。江戸時代から仙台城の城下町の町割の基点とされた。辻には制札が掲げられたため当時は「札の辻」が正式名称であった。辻の建物は、仙台藩がその威光を街道を行く人々に見せるために、四つ角全てが城郭風の高楼を備えた同じ形状の建物となっていた。これらの建物は一階部分は普通の商家と同じつくりになっていて、地元の豪商に貸し出され、何度か火事に遭った際も、その度に仙台藩の費用によって再建された。だが江戸時代末期にもなると藩の財政も疲弊し、こうした対応は採らなくなっていった。一部の建物は第二次世界大戦前まで残っていたが、これもやがて戦災で失われた。重罪犯人の「鋸挽き」や「立晒し」の刑場としても利用された。以下の諸説があるが、1.の虚無僧説が最も有力である。なお、松尾芭蕉とは関係ない。青葉区大町一丁目の明治安田生命仙台ビルの前には1970年(昭和45年)竣工の「芭蕉の辻」の碑と「江戸六十九次」「日本橋迄九十三里」と刻まれた道標が新設されている。
出典:wikipedia
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