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弥谷寺

弥谷寺(いやだにじ)は、香川県三豊市三野町にある真言宗大本山の寺格を持つ仏教寺院。標高382mの弥谷山南麓に所在。四国八十八箇所霊場の第七十一番札所。本尊は千手観音。本尊真言:おん ばさら たらま きりくご詠歌:悪人と 行き連れなんも 弥谷寺 只かりそめも 良き友ぞよき寺伝によれば、聖武天皇の勅願により行基が堂宇を建立し、光明皇后の菩提を弔う為、『大方広仏華厳経(伝・光明皇后書写)』を祀り、寺院を創建したとされる。当初は中国、四国の八国が眺められたことにちなみ蓮華山八国寺と称したという。また、空海(弘法大師)は7 - 12歳の期間、当寺にある岩窟である獅子之岩屋で学問に励んだという。807年(大同2年)、唐より帰国後の空海は当地を再び訪問し蔵王権現のお告げにより千手観音を安置し伽藍を再興し、山号を剣五山千手院、寺名を弥谷寺と改めたという。空海は、現在、岩窟の護摩堂と呼ばれる洞窟や獅子之岩屋で護摩を修し、寺宝の『金銅四天王五鈷鈴』を納めたとされる。また、縁起によると「此岩窟大師四十二歳ノ契天下泰平五穀豊壌或ハ四十二歳厄除衆生ヲ救為千座之護摩修行シ跡伝ワレリ」とあり、これを聞いた後の住持が大師堂再建の折に弘法大師42才の姿を刻み、奥之院本尊として厄除大師を祀ったといわれ、その後(焼失・盗難を恐れたなど諸説あり)、岩屋の中に石仏の厄除大師像・佐伯善通卿像・玉寄御前像を建立し、それまで祀っていた木像を秘仏としたことから、2体の厄除大師像が祀られている。(その秘仏の木造弘法大師像が320年ぶりに2014年開帳された。)澄禅の『四国遍路日記』(承応2年・1653年)には、木像がお祀りされていると記述され、また、寂本の『四国遍禮霊場記』(元禄2年・1689年)には、「いにしヘハ木像にてありけるを石にて改め作り奉る」と記されている。室町期には天霧城主・香川氏の庇護を受けたが、天正期に兵火により荒廃。のち丸亀藩主京極氏の帰依により1600年(慶長5年)復興された。俳句茶屋を越えると山門があり、さらに長い石段の参道を登っていくと大きな金剛拳菩薩が迎えてくれる。その先に赤い手すりの108階段を上り詰めると目の前に大師堂がある。右に進むとすぐ左上に多宝塔があって稲荷社はその脇にある。鐘楼は正面にあり、その前の石段を上って行くと途中の右に観音堂、左に十王堂があり、上り詰めると正面に岩窟の護摩堂がある。その護摩堂の右脇の急斜面に荒れた激急坂歩道の上に権現堂が見える。護摩堂を左に進むと水場があり、石段は二手に分かれ右の方に上がると途中、岩壁に阿弥陀三尊磨崖仏があり、それを過ぎるとやっと本堂がある。納経所は大師堂の中にあり、洞地蔵尊は大師堂中央あたりから身をかがめて斜面外を望めばある。奥之院本尊厄除弘法大師像、佐伯善通卿像、玉寄御前像などの石像が祀られている。弥谷寺・大師堂内のつきあたりにある。弥谷寺前身の八王山蓮華院八国寺(行基開山)の旧跡とされる。宥沢法印に拠れば八国寺は、三院六坊(一説によると十二坊)を備へ東院・西院・中尊院および弥之坊・谷之坊・独鈷坊・龍華坊・安養坊・海印坊・納涼坊ありと記される。弥谷寺への車道の途中にあり、弘法大師を祀っている。

出典:wikipedia

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